年度 | 順位 | 出走回数 | 1着 | 2着 | 3着 | 着外 | 勝率 | 連対率 | 複勝率 | 総賞金 | 出走頭数 | EI |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2002 | 528 | 6 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0.0% | 0.0% | 0.0% | 0 | 1 | 0.00 |
2001 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | - | - | 0 | 0 | 0 | |
2000 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | - | - | 0 | 0 | 0 | |
1999 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | - | - | 0 | 0 | 0 | |
1998 | 598 | 6 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0.0% | 0.0% | 0.0% | 0 | 2 | 0.00 |
1997 | 363 | 11 | 1 | 0 | 0 | 10 | 9.1% | 9.1% | 9.1% | 2008.8万 | 1 | 2.30 |
1996 | 453 | 13 | 1 | 0 | 0 | 12 | 7.7% | 7.7% | 7.7% | 1144万 | 2 | 0.65 |
1995 | 489 | 10 | 1 | 0 | 0 | 9 | 10.0% | 10.0% | 10.0% | 850万 | 3 | 0.33 |
1994 | 476 | 15 | 1 | 1 | 1 | 12 | 6.7% | 13.3% | 20.0% | 970万 | 5 | 0.22 |
1993 | 124 | 27 | 4 | 0 | 2 | 21 | 14.8% | 14.8% | 22.2% | 1億2162万 | 5 | 2.76 |
1992 | 226 | 41 | 5 | 2 | 2 | 32 | 12.2% | 17.1% | 22.0% | 5045万 | 6 | 0.94 |
1991 | 311 | 27 | 2 | 3 | 3 | 19 | 7.4% | 18.5% | 29.6% | 2306万 | 4 | 0.66 |
1990 | 516 | 7 | 0 | 0 | 0 | 7 | 0.0% | 0.0% | 0.0% | 129万 | 2 | 0.08 |
年度 | 順位 | 出走回数 | 1着 | 2着 | 3着 | 着外 | 勝率 | 連対率 | 複勝率 | 総賞金 | 出走頭数 | EI |
当サイトではJRA(日本中央競馬)のみを対象として算出しています。EI:アーニングインデックス(Average Earning Index)とは、競馬においては、種牡馬の成績を表す1つの指標で、種牡馬別の産駒収得賞金に関する指標で 全競走における競走馬1頭あたりの収得賞金に対する、ある種牡馬の産駒1頭あたりの収得賞金の比率をあらわしたものです。
計算式は (産駒の総収得賞金÷産駒の出走頭数)÷(全出走馬収得賞金÷総出走頭数) です。
アンドレアモンは1979に生まれたリユウフアーロス産駒の種牡馬。
リーディングサイアーの最高は1993年度の第124位となっている。
リーディングサイアー(Leading Sire)とは、産駒の獲得賞金の合計額による種牡馬の順位のこと。年度別実績一覧では「順位」として表記しています。
系統はボワルセルで「20世紀のなかば、イギリスではセントサイモン系の凋落が激しかった。しかし、フランスでは依然勢力を保ち、1935年にボワルセルが生まれると、ドーバー海峡を超えて英ダービーをもののみごとに勝利した。セントサイモン系から英ダービー馬が誕生したのは、実に24年ぶりのことであった。核となるセントサイモン系を失っていたイギリスは、さっそくこのボワルセルを導入。すると期待どおりの成功を見せて、1949年の英リーディングサイヤーに輝いた。さらに後継種牡馬のテヘラン(英セントレジャー)も1952年の英リーディングサイヤーに輝き、イギリスはかつてのセントサイモン系の繁栄を取り戻していった。ボワルセル系は世界的に繁栄し、アメリカではミゴリ(凱旋門賞)がギャラントマン(ベルモントS)を出して成功、オーストラリアでもデルヴィルウッドがリーディングサイヤーに5回輝く成功を見せた。日本でもヒンドスタン(愛ダービー)、ヒカルメイジ(日本ダービー)が成功し、内国産血統の向上に大きく貢献した。ヒンドスタンは1960年代にリーディングサイヤーに輝くこと7回。代表産駒はシンザン(三冠馬)が有名だが、他にもハクショウ(日本ダービー)、ダイコーター(菊花賞)ら多数のタイトルホースを出している。母の父としても優秀で、ボワルセル系に特有の力強いステイヤー血脈を伝えた。シンザンも後継種牡馬として成功し、ミホシンザン(皐月賞、菊花賞)、ミナガワマンナ(菊花賞)を出している。この時代は舶来崇拝が根強く、名馬といえども冷遇されていただけに、シンザンが内国産種牡馬の道を切り開いた功績は計り知れないものがある。」が特徴とされている。