タヤスツヨシの産駒成績

タヤスツヨシ(牡)

生年 1992年


年度別実績一覧
年度 順位 出走回数 1着 2着 3着 着外 勝率 連対率 複勝率 総賞金 出走頭数 EI
2017 382 2 0 0 0 2 0.0% 0.0% 0.0% 0 1 0.00
2016 227 15 1 0 2 12 6.7% 6.7% 20.0% 1710万 3 0.92
2015 156 22 1 1 1 19 4.5% 9.1% 13.6% 4175.8万 5 1.36
2014 120 41 6 1 0 34 14.6% 17.1% 17.1% 7106.3万 7 1.67
2013 135 78 2 8 3 65 2.6% 12.8% 16.7% 5739.3万 19 0.51
2012 58 224 13 15 16 180 5.8% 12.5% 19.6% 2億141万 40 0.85
2011 56 278 15 10 16 237 5.4% 9.0% 14.7% 2億531.8万 59 0.57
2010 94 247 7 9 11 220 2.8% 6.5% 10.9% 1億2634.5万 58 0.35
2009 63 278 12 14 13 239 4.3% 9.4% 14.0% 2億1877.2万 59 0.59
2008 49 253 13 10 22 208 5.1% 9.1% 17.8% 3億2231.4万 54 0.95
2007 37 264 23 19 25 197 8.7% 15.9% 25.4% 4億2257.3万 52 1.24
2006 39 327 20 21 33 253 6.1% 12.5% 22.6% 3億8252.8万 65 0.90
2005 33 358 35 31 26 266 9.8% 18.4% 25.7% 4億6822.4万 69 1.02
2004 53 378 19 18 16 325 5.0% 9.8% 14.0% 2億9560.6万 78 0.56
2003 53 351 14 21 23 293 4.0% 10.0% 16.5% 3億2468.9万 79 0.59
2002 42 374 19 27 23 305 5.1% 12.3% 18.4% 3億8934.5万 71 0.75
2001 39 399 27 21 30 321 6.8% 12.0% 19.5% 4億3141.1万 70 0.81
2000 58 325 24 25 25 251 7.4% 15.1% 22.8% 3億772.2万 53 0.71
1999 284 42 2 5 4 31 4.8% 16.7% 26.2% 3415万 13 0.31
年度 順位 出走回数 1着 2着 3着 着外 勝率 連対率 複勝率 総賞金 出走頭数 EI


EI:アーニングインデックス(Average Earning Index)とは、競馬においては、種牡馬の成績を表す1つの指標で、種牡馬別の産駒収得賞金に関する指標で 全競走における競走馬1頭あたりの収得賞金に対する、ある種牡馬の産駒1頭あたりの収得賞金の比率をあらわしたものです。
計算式は (産駒の総収得賞金÷産駒の出走頭数)÷(全出走馬収得賞金÷総出走頭数) です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/アーニングインデックス
  当サイトではJRA(日本中央競馬)のみを対象として算出しています。




タヤスツヨシは1992に生まれたサンデーサイレンス産駒の種牡馬。
リーディングサイアーの最高は2005年度の第33位となっている。
リーディングサイアー(Leading Sire)とは、産駒の獲得賞金の合計額による種牡馬の順位のこと。年度別実績一覧では「順位」として表記しています。
系統はサンデーサイレンスで「1989年の米国三冠レースで、サンデーサイレンスがイージーゴーアと繰り広げた死闘は、歴史に残る名勝負となっている。ケンタッキーダービー、プリークネスSはサンデーサイレンスが勝利したが、ベルモントSで雪辱され、三冠達成はならなかった。だが、秋のBCクラシックで再びイージーゴーアを破り、アメリカ年度代表馬の栄光を手にした。そして翌年、現役を引退すると同時に日本にやってきた。過去、これほどの名馬が現役から引退してすぐに日本にきた例はなかった。また、これほどの遺伝力と破壊力を持った名種牡馬が、日本において誕生したこともなかった。欧米ではネアルコ、ノーザンダンサーといった革命的な名種牡馬が半世紀に1、2頭の割合で誕生し、サラブレッドの血統を塗り替えてきた歴史がある。サンデーサイレンスの偉大な足跡はまさにそれで、従来の血統常識も価値観もすべてくつがえされた。本来なら、欧米で現れるべき革命の使者が、突然、日本に現れたようなものである。だが、そのおかげで内国産馬は迫り来る自由化の波、猛烈な外国産馬攻勢、さらには海外からの遠征馬に敢然と立ちはだかることができた。サンデーサイレンスが内国産馬をレベルアップさせ、防波堤の役割を果たした功績は大きい。それどころかサンデーサイレンスの血は、日本を海外への攻めに転じさせた。内国産種牡馬の仔が、海外のG1を勝つなど従来なら夢のまた夢だったが、フジキセキ、ダンスインザダーク、スペシャルウィークの仔がそれをいとも簡単にやってのけた。2002年に死亡して以降も、残された産駒は活躍し続け、ディープインパクトが三冠馬に輝いた。1995年から2007年まで13年連続で守り続けたリーディングサイヤーは、産駒の減少でさすがに終止符を打つことになった。だが、代わって後継種牡馬のアグネスタキオン、次いでマンハッタンカフェが首位に躍り出た。また他の後継種牡馬も次々と成功し、今日、種牡馬ランキング10傑の半数を占める。また2010年の2歳戦で新種牡馬デビューしたディープインパクトは、産駒が抜群の勝ち上がり率を見せて、いきなり2歳リーディングサイヤーに輝いた。さらに2011年にはステイゴールド産駒のオルフェーヴルが、サンデーサイレンス系としては2頭目の三冠馬となった。一方、母の父としてもサンデーサイレンスは絶大なる影響を発揮。重賞で活躍する馬の多くが、父系か母系のどちらかにサンデーサイレンスが入るという圧倒的な支配率を誇っている。」が特徴とされている。