年度 | 順位 | 出走回数 | 1着 | 2着 | 3着 | 着外 | 勝率 | 連対率 | 複勝率 | 総賞金 | 出走頭数 | EI |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2020 | 391 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0.0% | 0.0% | 0.0% | 0 | 1 | 0.00 |
2019 | 183 | 2 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0.0% | 50.0% | 50.0% | 2526万 | 1 | 4.10 |
2018 | 187 | 5 | 0 | 0 | 1 | 4 | 0.0% | 0.0% | 20.0% | 2712万 | 1 | 4.36 |
2017 | 82 | 7 | 2 | 0 | 1 | 4 | 28.6% | 28.6% | 42.9% | 1億6800.1万 | 2 | 13.46 |
2016 | 78 | 28 | 1 | 3 | 2 | 22 | 3.6% | 14.3% | 21.4% | 1億6999.2万 | 5 | 5.47 |
2015 | 59 | 40 | 7 | 1 | 0 | 32 | 17.5% | 20.0% | 20.0% | 2億4982.1万 | 11 | 3.69 |
2014 | 69 | 109 | 11 | 2 | 7 | 89 | 10.1% | 11.9% | 18.3% | 1億8226.2万 | 24 | 1.25 |
2013 | 74 | 177 | 13 | 12 | 20 | 132 | 7.3% | 14.1% | 25.4% | 1億7517.9万 | 33 | 0.89 |
2012 | 71 | 172 | 10 | 21 | 13 | 128 | 5.8% | 18.0% | 25.6% | 1億7030.1万 | 41 | 0.70 |
2011 | 100 | 176 | 8 | 6 | 8 | 154 | 4.5% | 8.0% | 12.5% | 1億1253.8万 | 44 | 0.42 |
2010 | 132 | 111 | 5 | 3 | 6 | 97 | 4.5% | 7.2% | 12.6% | 7044.2万 | 35 | 0.32 |
2009 | 163 | 44 | 5 | 2 | 4 | 33 | 11.4% | 15.9% | 25.0% | 4757.8万 | 13 | 0.58 |
年度 | 順位 | 出走回数 | 1着 | 2着 | 3着 | 着外 | 勝率 | 連対率 | 複勝率 | 総賞金 | 出走頭数 | EI |
当サイトではJRA(日本中央競馬)のみを対象として算出しています。EI:アーニングインデックス(Average Earning Index)とは、競馬においては、種牡馬の成績を表す1つの指標で、種牡馬別の産駒収得賞金に関する指標で 全競走における競走馬1頭あたりの収得賞金に対する、ある種牡馬の産駒1頭あたりの収得賞金の比率をあらわしたものです。
計算式は (産駒の総収得賞金÷産駒の出走頭数)÷(全出走馬収得賞金÷総出走頭数) です。
アドマイヤドンは1999に生まれたティンバーカントリー産駒の種牡馬。
リーディングサイアーの最高は2015年度の第59位となっている。
リーディングサイアー(Leading Sire)とは、産駒の獲得賞金の合計額による種牡馬の順位のこと。年度別実績一覧では「順位」として表記しています。
系統はウッドマンで「父が新進気鋭のミスタープロスペクター、母が米2歳牝馬チャンピオンに輝いたナンバードアカウントの全妹。この良血配合で生まれたウッドマンは1984年の米キーンランドセールにおいて、300万ドル(当時7億500万円)の高額で落札された。デビューから愛GⅢを含めて3連勝し、愛2歳牡馬チャンピオンとなってクラシックを期待されたが、3歳の緒戦に選ばれたレースで故障を発生して引退が決まった。しかし種牡馬となるや、その血統の良さをフルに伝えて大成功。ミスタープロスペクター系初期の最良後継種牡馬となった。初年度産駒からヘクタープロテクター(仏2000ギニー、欧州2歳牡馬チャンピオン)、ハンセル(プリークネスS、ベルモントS、米3歳牡馬チャンピオン)を送り出し、その後もティンバーカントリー(プリークネスS、米2歳牡馬チャンピオン)、ボスラシャム(英1000ギニー)ら数多くの一流馬を世に送り出した。ミスタープロスペクターが北米だけでなく欧州にも向くことを、いち早く実証したのがミスワキだったが、次いで実証したのがこのウッドマンだった。1990年代に北米とフランスのリーディングサイヤーに、それぞれ2度輝いている。日本の競馬にも適性が高く、ヒシアケボノ(スプリンターズS)を筆頭に多数の重賞勝ち馬を出した。この時代の日本はバブル期だったこともあるが、ウッドマンの代表産駒であるヘクタープロテクター、ティンバーカントリー、ハンセルの大物3頭すべてが輸入され、他にシーロ、ウェイオブライトのGⅠ勝ち馬も相次いで輸入された。このうちティンバーカントリーはアドマイヤドン(JBCクラシック3回)らを、ヘクタープロテクターもセンターライジング(サンスポ賞4歳牝馬特別)らを出す成功を収めた。ただ、ともにスピードよりもパワーが勝っており、日本の軽い芝でその持ち味を存分に生かしたとは言いがたい。」が特徴とされている。