ナイスダンサーの産駒成績

ナイスダンサー(牡)

生年 1969年


年度別実績一覧
年度 順位 出走回数 1着 2着 3着 着外 勝率 連対率 複勝率 総賞金 出走頭数 EI
2002 572 3 0 0 0 3 0.0% 0.0% 0.0% 0 2 0.00
2001 326 12 1 0 2 9 8.3% 8.3% 25.0% 1940万 2 1.27
2000 179 16 4 1 2 9 25.0% 31.3% 43.8% 6939.2万 3 2.84
1999 167 44 4 9 6 25 9.1% 29.5% 43.2% 8773.2万 6 1.74
1998 95 109 10 11 9 79 9.2% 19.3% 27.5% 1億9186万 15 1.47
1997 105 134 11 9 15 99 8.2% 14.9% 26.1% 1億6576.3万 18 1.06
1996 72 183 13 22 15 133 7.1% 19.1% 27.3% 2億4563.5万 27 1.03
1995 62 227 13 18 14 182 5.7% 13.7% 19.8% 2億7826.5万 38 0.84
1994 38 211 21 19 20 151 10.0% 19.0% 28.4% 4億5692.6万 37 1.43
1993 18 254 27 25 26 176 10.6% 20.5% 30.7% 6億4639.5万 40 1.84
1992 16 296 32 28 39 197 10.8% 20.3% 33.4% 6億7395万 41 1.84
1991 11 367 42 39 38 248 11.4% 22.1% 32.4% 7億8950万 57 1.60
1990 21 309 27 27 30 225 8.7% 17.5% 27.2% 5億9007.5万 55 1.31
1989 16 351 41 28 32 250 11.7% 19.7% 28.8% 6億3929万 58 1.39
1988 20 306 39 24 30 213 12.7% 20.6% 30.4% 5億718万 54 1.22
1987 37 197 23 14 25 135 11.7% 18.8% 31.5% 2億9787万 36 1.11
1986 15 238 35 23 25 155 14.7% 24.4% 34.9% 5億2073万 36 2.10
年度 順位 出走回数 1着 2着 3着 着外 勝率 連対率 複勝率 総賞金 出走頭数 EI


EI:アーニングインデックス(Average Earning Index)とは、競馬においては、種牡馬の成績を表す1つの指標で、種牡馬別の産駒収得賞金に関する指標で 全競走における競走馬1頭あたりの収得賞金に対する、ある種牡馬の産駒1頭あたりの収得賞金の比率をあらわしたものです。
計算式は (産駒の総収得賞金÷産駒の出走頭数)÷(全出走馬収得賞金÷総出走頭数) です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/アーニングインデックス
  当サイトではJRA(日本中央競馬)のみを対象として算出しています。




ナイスダンサーは1969に生まれたNorthern Dancer産駒の種牡馬。
リーディングサイアーの最高は1991年度の第11位となっている。
リーディングサイアー(Leading Sire)とは、産駒の獲得賞金の合計額による種牡馬の順位のこと。年度別実績一覧では「順位」として表記しています。
系統はノーザンダンサーで「第2次世界大戦後、急速に勢力を拡大したナスルーラ系は、1960年代になると全盛期を迎え、世界のサラブレッドの血統を支配するまでになった。しかし1970年代に入ると、同じネアルコ系でも傍流のニアークティックから出たノーザンダンサーに主流の座を奪い取られていく。ノーザンダンサーの2年目の産駒で、カナダ産のニジンスキーが英三冠馬に輝いたのは1970年のこと。伝統の名門血統を擁するイギリスにとっては衝撃的な出来事であったが、それはサラブレッド史上最大規模の血統革命のはじまりでもあった。ノーザンダンサー産駒は伝統の大レースが多い2400mでことのほか強かった。1970年代のなかばには早くも「世界最高クラスの種牡馬」との評価を得て、ニジンスキー以後もザミンストレル、セクレト、エルグランセニョール、サドラーズウェルズなど一流馬を数限りなく送り出していった。後継種牡馬の遺伝力がこれまた素晴らしく、ニジンスキー、リファール、ヌレイエフ、ダンジグ、サドラーズウェルズらが次々と大成功を収め、猛スピードで世界のサラブレッドの血統を塗り替えていった。ノーザンダンサーの何がこれほどまで世界侵略を可能にしたのか。その最大の秘密は、遺伝力もさることながら、優れた順応性、忍耐強さにあったといえるだろう。生まれ育ったカナダの牧場は、冬は氷点下30度前後まで冷え込み、夏は高温多湿で蒸し暑く、神経をいらつかせるハエやアブに悩まされた。その解決策として夜間放牧されていたが、日中はせまい馬房のなかに閉じ込められっぱなしだった。忍耐強さ、頑健さ、優れた順応性がなければ、とても生き残れない環境だったのである。芝、ダート、重を問わず、どんな馬場にも適応力があった。これもまた劣悪な環境下で培われたものだろう。仕上がりの早さ、成長力、スピード、瞬発力、スタミナ、無類の闘争心、精神的な強さ、忍耐力、そして順応性。ノーザンダンサーはすべてに優れた資質を持っていた。それを子孫がさまざまなかたちで受け継ぎ、万能血脈、スピード血脈、ステイヤー血脈など多種多様な独自の支流父系を、世界中に築き上げていったのである。」が特徴とされている。