年度 | 順位 | 出走回数 | 1着 | 2着 | 3着 | 着外 | 勝率 | 連対率 | 複勝率 | 総賞金 | 出走頭数 | EI |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1996 | 369 | 5 | 1 | 0 | 1 | 3 | 20.0% | 20.0% | 40.0% | 2057.1万 | 1 | 2.33 |
1995 | 277 | 23 | 2 | 4 | 0 | 17 | 8.7% | 26.1% | 26.1% | 4144.9万 | 3 | 1.59 |
1994 | 127 | 76 | 7 | 7 | 5 | 57 | 9.2% | 18.4% | 25.0% | 1億1408.6万 | 9 | 1.46 |
1993 | 44 | 163 | 12 | 11 | 10 | 130 | 7.4% | 14.1% | 20.2% | 3億6398万 | 26 | 1.59 |
1992 | 14 | 271 | 26 | 20 | 18 | 207 | 9.6% | 17.0% | 23.6% | 7億1776.5万 | 47 | 1.71 |
1991 | 12 | 303 | 38 | 30 | 33 | 202 | 12.5% | 22.4% | 33.3% | 7億601万 | 49 | 1.66 |
1990 | 22 | 329 | 27 | 33 | 41 | 228 | 8.2% | 18.2% | 30.7% | 5億1518.5万 | 57 | 1.10 |
1989 | 9 | 458 | 50 | 40 | 52 | 316 | 10.9% | 19.7% | 31.0% | 8億9006万 | 77 | 1.46 |
1988 | 6 | 507 | 50 | 44 | 57 | 356 | 9.9% | 18.5% | 29.8% | 8億6935万 | 73 | 1.55 |
1987 | 5 | 494 | 62 | 69 | 55 | 308 | 12.6% | 26.5% | 37.7% | 9億3553万 | 68 | 1.85 |
1986 | 28 | 351 | 31 | 34 | 45 | 241 | 8.8% | 18.5% | 31.3% | 3億5621万 | 54 | 0.96 |
年度 | 順位 | 出走回数 | 1着 | 2着 | 3着 | 着外 | 勝率 | 連対率 | 複勝率 | 総賞金 | 出走頭数 | EI |
当サイトではJRA(日本中央競馬)のみを対象として算出しています。EI:アーニングインデックス(Average Earning Index)とは、競馬においては、種牡馬の成績を表す1つの指標で、種牡馬別の産駒収得賞金に関する指標で 全競走における競走馬1頭あたりの収得賞金に対する、ある種牡馬の産駒1頭あたりの収得賞金の比率をあらわしたものです。
計算式は (産駒の総収得賞金÷産駒の出走頭数)÷(全出走馬収得賞金÷総出走頭数) です。
デイクタスは1967に生まれたSanctus産駒の種牡馬。
リーディングサイアーの最高は1987年度の第5位となっている。
リーディングサイアー(Leading Sire)とは、産駒の獲得賞金の合計額による種牡馬の順位のこと。年度別実績一覧では「順位」として表記しています。
系統はゲインズボローで「第1次世界大戦のさなか、ゲインズボローはイギリスで13頭目の三冠馬に輝いた。戦局の悪化で能力検定レースとして行われたため、戦後、三冠馬として認めるべきかどうかの論争が起こった。だが、歴史的名馬にして名種牡馬のハイペリオンを出したことで、その論争にも終止符が打たれた。ハイペリオンは種牡馬となっても大成功し、1940年~54年にかけて英リーディングサイヤーに6回輝いた。その血は世界にも伝播してそれぞれの国で独自のサイヤーラインを築き、父をはるかにしのぐ繁栄ぶりを見せた。しかし、ゲインズボローが単にハイペリオンの父だけでなかったことは、支流のサンクタス系を見ても明らかである。この系統は近年、日本でもサッカーボーイ(マイルCS)、ナリタトップロード(菊花賞)、ヒシミラクル(菊花賞)を出す活躍を見せている。ゲインズボロー系の本質はステイヤー血脈で、競走時代はマイラーでも、種牡馬としては父系のスタミナを伝えることが多い。サッカーボーイから菊花賞馬が2頭出たのも納得のいく話である。戦前のゲインズボロー系としては、1926年に下総御料牧場が輸入したトウルヌソルが有名だ。シアンモアとともに戦前の2大種牡馬として君臨し、日本ダービー馬だけでもクモハタ、クリフジなど6頭出した。クリフジは牝馬ながら11戦不敗、日本ダービーだけでなく菊花賞も勝った女傑だった。またクモハタは後継種牡馬となって成功し、1951~57年まで6年連続でリーディングサイヤーに輝いている。」が特徴とされている。