年度 | 順位 | 出走回数 | 1着 | 2着 | 3着 | 着外 | 勝率 | 連対率 | 複勝率 | 総賞金 | 出走頭数 | EI |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2000 | 596 | 10 | 0 | 0 | 0 | 10 | 0.0% | 0.0% | 0.0% | 0 | 3 | 0.00 |
1999 | 293 | 23 | 1 | 1 | 1 | 20 | 4.3% | 8.7% | 13.0% | 3166.9万 | 4 | 0.94 |
1998 | 260 | 34 | 3 | 0 | 0 | 31 | 8.8% | 8.8% | 8.8% | 3980.8万 | 4 | 1.14 |
1997 | 163 | 56 | 3 | 9 | 8 | 36 | 5.4% | 21.4% | 35.7% | 9487.2万 | 9 | 1.21 |
1996 | 205 | 78 | 3 | 2 | 8 | 65 | 3.8% | 6.4% | 16.7% | 7344.5万 | 13 | 0.64 |
1995 | 106 | 142 | 10 | 6 | 11 | 115 | 7.0% | 11.3% | 19.0% | 1億6468万 | 22 | 0.86 |
1994 | 63 | 196 | 17 | 9 | 20 | 150 | 8.7% | 13.3% | 23.5% | 2億7612.2万 | 27 | 1.18 |
1993 | 73 | 204 | 16 | 16 | 21 | 151 | 7.8% | 15.7% | 26.0% | 2億3088万 | 35 | 0.75 |
1992 | 78 | 133 | 15 | 13 | 16 | 89 | 11.3% | 21.1% | 33.1% | 2億4335万 | 19 | 1.43 |
1991 | 49 | 207 | 20 | 22 | 13 | 152 | 9.7% | 20.3% | 26.6% | 3億2952万 | 32 | 1.19 |
1990 | 29 | 305 | 27 | 28 | 36 | 214 | 8.9% | 18.0% | 29.8% | 4億4860.5万 | 47 | 1.17 |
1989 | 28 | 344 | 29 | 34 | 38 | 243 | 8.4% | 18.3% | 29.4% | 4億6227万 | 51 | 1.15 |
1988 | 40 | 265 | 28 | 22 | 21 | 194 | 10.6% | 18.9% | 26.8% | 3億5035万 | 43 | 1.06 |
1987 | 78 | 216 | 13 | 23 | 22 | 158 | 6.0% | 16.7% | 26.9% | 1億7424.5万 | 36 | 0.65 |
1986 | 221 | 49 | 4 | 3 | 1 | 41 | 8.2% | 14.3% | 16.3% | 3125万 | 14 | 0.32 |
年度 | 順位 | 出走回数 | 1着 | 2着 | 3着 | 着外 | 勝率 | 連対率 | 複勝率 | 総賞金 | 出走頭数 | EI |
当サイトではJRA(日本中央競馬)のみを対象として算出しています。EI:アーニングインデックス(Average Earning Index)とは、競馬においては、種牡馬の成績を表す1つの指標で、種牡馬別の産駒収得賞金に関する指標で 全競走における競走馬1頭あたりの収得賞金に対する、ある種牡馬の産駒1頭あたりの収得賞金の比率をあらわしたものです。
計算式は (産駒の総収得賞金÷産駒の出走頭数)÷(全出走馬収得賞金÷総出走頭数) です。
ニチドウアラシは1976に生まれたボールドアンドエイブル産駒の種牡馬。
リーディングサイアーの最高は1989年度の第28位となっている。
リーディングサイアー(Leading Sire)とは、産駒の獲得賞金の合計額による種牡馬の順位のこと。年度別実績一覧では「順位」として表記しています。
系統はボールドルーラーで「1960~70年代のアメリカにおいて猛威をふるった父系で、今も活力を維持している。その祖となったボールドルーラーは米リーディングサイヤーに輝くこと8回、米2歳リーディングサイヤーに輝くこと6回。ナスルーラの偉大さをそのまま受け継いだ名馬にして名種牡馬だった。後継種牡馬のワットアプレジャー、ラジャババ、ボールドビダーらも米リーディングサイヤーに輝いたが、その原動力となったのはボールドルーラーが伝えた抜群の仕上がり、優れたダッシュ力とスピードだった。2歳戦と短中距離戦に傾倒していたアメリカにとって、これほど願いにかなった血統もなかったといえる。ただ、産駒は全体に早熟で距離にも限界があり、3歳になると伸び悩んだ。ボールドルーラーの生存中に、米三冠レースの優勝馬が1頭も出なかったことが、それを物語っている。この欠点がやがてノーザンダンサー系やネイティヴダンサー系に主役の座を奪われる一因にもなった。ボールドルーラーの死後、セクレタリアトが米三冠馬に輝いて血統イメージを覆したが、この晩年の傑作が種牡馬としては案外だったことも、繁栄の終わりを告げるかのようだった。だが、ボールドルーラー系は主流外から誕生した、無敗の米三冠馬シアトルスルーによって救われる。従来のボールドルーラー系と違って、スタミナと成長力も備えているのが特徴で、その血は代表産駒で米年度代表馬に輝いたエーピーインディ(BCクラシック、ベルモントS)が引き継いでいる。」が特徴とされている。