年度 | 順位 | 出走回数 | 1着 | 2着 | 3着 | 着外 | 勝率 | 連対率 | 複勝率 | 総賞金 | 出走頭数 | EI |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1999 | 581 | 4 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0.0% | 0.0% | 0.0% | 0 | 1 | 0.00 |
1998 | 599 | 5 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0.0% | 0.0% | 0.0% | 0 | 1 | 0.00 |
1997 | 494 | 3 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0.0% | 0.0% | 33.3% | 619.5万 | 1 | 0.71 |
1996 | 495 | 6 | 0 | 0 | 1 | 5 | 0.0% | 0.0% | 16.7% | 792万 | 1 | 0.90 |
1995 | 189 | 19 | 4 | 1 | 2 | 12 | 21.1% | 26.3% | 36.8% | 7429.5万 | 3 | 2.85 |
1994 | 222 | 34 | 4 | 2 | 3 | 25 | 11.8% | 17.6% | 26.5% | 5677.6万 | 8 | 0.82 |
1993 | 165 | 35 | 4 | 6 | 3 | 22 | 11.4% | 28.6% | 37.1% | 8628万 | 7 | 1.40 |
1992 | 253 | 52 | 3 | 0 | 4 | 45 | 5.8% | 5.8% | 13.5% | 4050万 | 8 | 0.57 |
1991 | 238 | 44 | 3 | 1 | 6 | 34 | 6.8% | 9.1% | 22.7% | 4061万 | 7 | 0.67 |
1990 | 206 | 48 | 5 | 3 | 3 | 37 | 10.4% | 16.7% | 22.9% | 5112万 | 9 | 0.69 |
1989 | 392 | 4 | 1 | 0 | 1 | 2 | 25.0% | 25.0% | 50.0% | 734万 | 2 | 0.46 |
年度 | 順位 | 出走回数 | 1着 | 2着 | 3着 | 着外 | 勝率 | 連対率 | 複勝率 | 総賞金 | 出走頭数 | EI |
当サイトではJRA(日本中央競馬)のみを対象として算出しています。EI:アーニングインデックス(Average Earning Index)とは、競馬においては、種牡馬の成績を表す1つの指標で、種牡馬別の産駒収得賞金に関する指標で 全競走における競走馬1頭あたりの収得賞金に対する、ある種牡馬の産駒1頭あたりの収得賞金の比率をあらわしたものです。
計算式は (産駒の総収得賞金÷産駒の出走頭数)÷(全出走馬収得賞金÷総出走頭数) です。
エリモタイヨーは1980に生まれたパーソナリテイ産駒の種牡馬。
リーディングサイアーの最高は1993年度の第165位となっている。
リーディングサイアー(Leading Sire)とは、産駒の獲得賞金の合計額による種牡馬の順位のこと。年度別実績一覧では「順位」として表記しています。
系統はヘイルトゥリーズンで「日本におけるロイヤルチャージャー系は、古くはスピードシンボリ(有馬記念2回)が有名だが、発展性に欠けて長く傍流父系の道を歩んできた。しかし、支流父系のヘイルトゥリーズン系から出たリアルシャダイ、ブライアンズタイム、サンデーサイレンスが相次いで大成功し、日本を代表する主流父系へとのし上がった。ヘイルトゥリーズンは抜群の仕上がりを見せて2歳の1月にデビューし、アメリカの主要2歳重賞レースを勝ちまくったが、9月になって種子骨をいためて引退が決まった。このときすでに18戦9勝のキャリアで、翌1961年には3歳になったばかりで種牡馬入りしており、何から何まで早かった。初年度産駒がデビューすると、これまた早くも重賞勝ちラッシュ。さらに1970年には、前年まで6年連続で米リーディングサイヤーとなっていたボールドルーラーを引きずり下ろし、米リーディングサイヤーに輝いた。同年のアメリカ年度代表馬に選ばれたパーソナリティ(プリークネスS、輸入種牡馬)の活躍がものをいった。以後もヘイルトゥリーズンからはロベルト(英ダービー)、ヘイロー(ユナイテッドネーションズH)、ボールドリーズン(トラヴァーズS)、ストップザミュージック(シャンペンS)といった活躍馬が続々と誕生。これらは後継種牡馬としても成功したが、とくにロベルト、ヘイローの2系統が大成功して今日の発展へと導いた。どちらもノーザンダンサー系牝馬との和合性に優れ、それが躍進の原動力となった。」が特徴とされている。