年度 | 順位 | 出走回数 | 1着 | 2着 | 3着 | 着外 | 勝率 | 連対率 | 複勝率 | 総賞金 | 出走頭数 | EI |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2002 | 538 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0.0% | 0.0% | 0.0% | 0 | 1 | 0.00 |
2001 | 363 | 7 | 1 | 0 | 1 | 5 | 14.3% | 14.3% | 28.6% | 1470万 | 1 | 1.92 |
2000 | 510 | 11 | 0 | 0 | 0 | 11 | 0.0% | 0.0% | 0.0% | 180万 | 3 | 0.07 |
1999 | 199 | 21 | 3 | 2 | 1 | 15 | 14.3% | 23.8% | 28.6% | 6961.3万 | 3 | 2.76 |
1998 | 258 | 26 | 2 | 3 | 4 | 17 | 7.7% | 19.2% | 34.6% | 4135万 | 4 | 1.19 |
1997 | 248 | 46 | 4 | 3 | 4 | 35 | 8.7% | 15.2% | 23.9% | 5040万 | 8 | 0.72 |
1996 | 252 | 49 | 4 | 5 | 3 | 37 | 8.2% | 18.4% | 24.5% | 4779.8万 | 13 | 0.42 |
1995 | 332 | 29 | 3 | 3 | 1 | 22 | 10.3% | 20.7% | 24.1% | 2735万 | 8 | 0.39 |
1994 | 350 | 26 | 1 | 3 | 4 | 18 | 3.8% | 15.4% | 30.8% | 2545.2万 | 3 | 0.98 |
1993 | 416 | 22 | 1 | 0 | 2 | 19 | 4.5% | 4.5% | 13.6% | 1349万 | 5 | 0.31 |
1992 | 87 | 26 | 4 | 5 | 3 | 14 | 15.4% | 34.6% | 46.2% | 2億980万 | 7 | 3.35 |
1991 | 199 | 7 | 2 | 3 | 0 | 2 | 28.6% | 71.4% | 71.4% | 5320万 | 1 | 6.13 |
年度 | 順位 | 出走回数 | 1着 | 2着 | 3着 | 着外 | 勝率 | 連対率 | 複勝率 | 総賞金 | 出走頭数 | EI |
当サイトではJRA(日本中央競馬)のみを対象として算出しています。EI:アーニングインデックス(Average Earning Index)とは、競馬においては、種牡馬の成績を表す1つの指標で、種牡馬別の産駒収得賞金に関する指標で 全競走における競走馬1頭あたりの収得賞金に対する、ある種牡馬の産駒1頭あたりの収得賞金の比率をあらわしたものです。
計算式は (産駒の総収得賞金÷産駒の出走頭数)÷(全出走馬収得賞金÷総出走頭数) です。
ダイナサンキューは1984に生まれたノーザンテースト産駒の種牡馬。
リーディングサイアーの最高は1992年度の第87位となっている。
リーディングサイアー(Leading Sire)とは、産駒の獲得賞金の合計額による種牡馬の順位のこと。年度別実績一覧では「順位」として表記しています。
系統はノーザンテーストで「欧米では1970年代に入るとノーザンダンサー旋風が吹き荒れたが、この時代の日本はナスルーラ系のテスコボーイと、トウルビヨン系のパーソロンが覇を競い合っていた。このため、しばらく導入には消極的だったが、ノーザンテーストの成功が火をつけ、未曾有の導入ラッシュとなった。初年度産駒のアンバーシャダイが4歳になって1981年の有馬記念を制すると、ノーザンテーストはその翌年に早くもリーディングサイヤーに輝いた。以後、ダイナガリバー(日本ダービー)、ギャロップダイナ(天皇賞・秋)、シャダイソフィア(桜花賞)、シャダイアイバー(オークス)、アドラーブル(オークス)らが活躍し、1990年代の半ばまで長きにわたって頂点に君臨し続けた。ノーザンテースト産駒は、2歳戦から活躍する仕上がりの早さがありながら、決して早熟ではなく、3歳になっても成長を上乗せして活躍。古馬になってもしぶとく走り続けた。また距離の長短を問わず、芝もダートも重もこなす万能性に優れ、無類の勝負根性を持ち、夏の暑さにも冬の寒さにも強かった。ノーザンテースト産駒は全体に小柄だったが、能力は大型馬を上まわり、パワーを要するダートも平気でこなした。まさに父ノーザンダンサーの特徴そのもので、従来の血統常識やサラブレッドの価値観が、根底からくつがえされていった。日本にも血統革命が起きたのである。ここまで猛威を見せつけられれば、日本がノーザンダンサー系導入にやっきとなるのは当然。続けてマルゼンスキー、モガミ、リイフォーらが成功したこともあってノーザンダンサー・ブームが起きた、史上空前の導入ラッシュとなった。ノーザンテーストの優れた遺伝力は後継種牡馬にも及び、アンバーシャダイ、メジロライアン(宝塚記念)へと受け継がれていった。メジロライアンはメジロブライト(天皇賞・春)を出し、3代にわたる内国産G1馬の父系をつくり上げている。また母の父としても優れ、サンデーサイレンス、トニービンらの成功を陰で支えた。1991年から2006年まで16年連続でリーディング・ブルードメアサイヤーに君臨。エアグルーヴ(オークス)、ダイワスカーレット(桜花賞)、サッカーボーイ(マイルCS)、サクラバクシンオー(スプリンターズS)ら数多くのG1ホースを送り出している。」が特徴とされている。