サッカーボーイの産駒成績

サッカーボーイ(牡)

生年 1985年


年度別実績一覧
年度 順位 出走回数 1着 2着 3着 着外 勝率 連対率 複勝率 総賞金 出走頭数 EI
2018 360 2 0 0 0 2 0.0% 0.0% 0.0% 0 1 0.00
2017 213 7 1 0 1 5 14.3% 14.3% 28.6% 2054.4万 1 3.29
2016 215 5 0 1 0 4 0.0% 20.0% 20.0% 680万 1 1.09
2015 221 5 1 2 0 2 20.0% 60.0% 60.0% 1810万 1 2.94
2014 338 9 0 0 0 9 0.0% 0.0% 0.0% 208万 1 0.34
2013 352 15 0 1 0 14 0.0% 6.7% 6.7% 280万 6 0.08
2012 259 41 0 1 0 40 0.0% 2.4% 2.4% 1140.6万 8 0.24
2011 136 76 3 1 5 67 3.9% 5.3% 11.8% 6014.8万 15 0.65
2010 66 109 8 7 8 86 7.3% 13.8% 21.1% 2億362.7万 26 1.26
2009 78 173 8 6 6 153 4.6% 8.1% 11.6% 1億7442.9万 40 0.69
2008 54 240 16 16 26 182 6.7% 13.3% 24.2% 2億9682.1万 52 0.91
2007 51 312 16 19 19 258 5.1% 11.2% 17.3% 3億900.3万 67 0.70
2006 37 342 16 23 22 281 4.7% 11.4% 17.8% 3億9942.5万 70 0.87
2005 69 280 6 11 23 240 2.1% 6.1% 14.3% 2億3997万 63 0.57
2004 27 357 22 27 31 277 6.2% 13.7% 22.4% 5億8926.3万 73 1.19
2003 15 452 31 26 26 369 6.9% 12.6% 18.4% 8億1498.4万 83 1.40
2002 11 378 37 28 18 295 9.8% 17.2% 22.0% 10億7139.9万 75 1.96
2001 25 347 18 30 22 277 5.2% 13.8% 20.2% 5億3665.9万 62 1.13
2000 23 399 23 32 33 311 5.8% 13.8% 22.1% 6億3402.7万 70 1.11
1999 11 432 27 26 40 339 6.3% 12.3% 21.5% 8億4900.1万 71 1.42
1998 53 360 21 16 18 305 5.8% 10.3% 15.3% 3億2927.4万 66 0.57
1997 25 408 34 23 22 329 8.3% 14.0% 19.4% 4億9626.4万 70 0.81
1996 19 375 28 33 27 287 7.5% 16.3% 23.5% 5億7864.5万 57 1.15
1995 10 335 39 29 28 239 11.6% 20.3% 28.7% 8億5964.7万 52 1.90
1994 46 191 24 17 23 127 12.6% 21.5% 33.5% 3億6693.1万 29 1.46
1993 181 49 5 7 11 26 10.2% 24.5% 46.9% 7600万 15 0.58
年度 順位 出走回数 1着 2着 3着 着外 勝率 連対率 複勝率 総賞金 出走頭数 EI


EI:アーニングインデックス(Average Earning Index)とは、競馬においては、種牡馬の成績を表す1つの指標で、種牡馬別の産駒収得賞金に関する指標で 全競走における競走馬1頭あたりの収得賞金に対する、ある種牡馬の産駒1頭あたりの収得賞金の比率をあらわしたものです。
計算式は (産駒の総収得賞金÷産駒の出走頭数)÷(全出走馬収得賞金÷総出走頭数) です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/アーニングインデックス
  当サイトではJRA(日本中央競馬)のみを対象として算出しています。




サッカーボーイは1985に生まれたデイクタス産駒の種牡馬。
リーディングサイアーの最高は1995年度の第10位となっている。
リーディングサイアー(Leading Sire)とは、産駒の獲得賞金の合計額による種牡馬の順位のこと。年度別実績一覧では「順位」として表記しています。
系統はゲインズボローで「第1次世界大戦のさなか、ゲインズボローはイギリスで13頭目の三冠馬に輝いた。戦局の悪化で能力検定レースとして行われたため、戦後、三冠馬として認めるべきかどうかの論争が起こった。だが、歴史的名馬にして名種牡馬のハイペリオンを出したことで、その論争にも終止符が打たれた。ハイペリオンは種牡馬となっても大成功し、1940年~54年にかけて英リーディングサイヤーに6回輝いた。その血は世界にも伝播してそれぞれの国で独自のサイヤーラインを築き、父をはるかにしのぐ繁栄ぶりを見せた。しかし、ゲインズボローが単にハイペリオンの父だけでなかったことは、支流のサンクタス系を見ても明らかである。この系統は近年、日本でもサッカーボーイ(マイルCS)、ナリタトップロード(菊花賞)、ヒシミラクル(菊花賞)を出す活躍を見せている。ゲインズボロー系の本質はステイヤー血脈で、競走時代はマイラーでも、種牡馬としては父系のスタミナを伝えることが多い。サッカーボーイから菊花賞馬が2頭出たのも納得のいく話である。戦前のゲインズボロー系としては、1926年に下総御料牧場が輸入したトウルヌソルが有名だ。シアンモアとともに戦前の2大種牡馬として君臨し、日本ダービー馬だけでもクモハタ、クリフジなど6頭出した。クリフジは牝馬ながら11戦不敗、日本ダービーだけでなく菊花賞も勝った女傑だった。またクモハタは後継種牡馬となって成功し、1951~57年まで6年連続でリーディングサイヤーに輝いている。」が特徴とされている。