トロットサンダーの産駒成績

トロットサンダー(牡)

生年 1989年


年度別実績一覧
年度 順位 出走回数 1着 2着 3着 着外 勝率 連対率 複勝率 総賞金 出走頭数 EI
2007 528 18 0 0 0 18 0.0% 0.0% 0.0% 0 3 0.00
2006 400 20 1 0 0 19 5.0% 5.0% 5.0% 700万 6 0.18
2005 145 51 3 2 4 42 5.9% 9.8% 17.6% 6464.3万 9 1.08
2004 301 39 0 0 2 37 0.0% 0.0% 5.1% 1538.2万 8 0.28
2003 151 81 5 3 5 68 6.2% 9.9% 16.0% 7020万 16 0.63
2002 168 137 6 3 8 120 4.4% 6.6% 12.4% 7358万 26 0.39
2001 172 140 7 4 7 122 5.0% 7.9% 12.9% 6849万 28 0.32
2000 314 25 2 0 4 19 8.0% 8.0% 24.0% 2271.1万 8 0.35


EI:アーニングインデックス(Average Earning Index)とは、競馬においては、種牡馬の成績を表す1つの指標で、種牡馬別の産駒収得賞金に関する指標で 全競走における競走馬1頭あたりの収得賞金に対する、ある種牡馬の産駒1頭あたりの収得賞金の比率をあらわしたものです。
計算式は (産駒の総収得賞金÷産駒の出走頭数)÷(全出走馬収得賞金÷総出走頭数) です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/アーニングインデックス
  当サイトではJRA(日本中央競馬)のみを対象として算出しています。




トロットサンダーは1989に生まれたダイナコスモス産駒の種牡馬。
リーディングサイアーの最高は2005年度の第145位となっている。
リーディングサイアー(Leading Sire)とは、産駒の獲得賞金の合計額による種牡馬の順位のこと。年度別実績一覧では「順位」として表記しています。
系統はネアルコで「イタリア陸軍の騎兵士官だったフェデリコ・テシオが、サラブレッド生産を思い立ち、北イタリアのマジョーレ湖畔に牧場を開いたのは1898年、29歳のときであった。この時代、イギリスではセントサイモンが血統革命の嵐を巻き起こしていたが、それから40年後、テシオはこのセントサイモンの凝縮配合でネアルコを世に送り出し、世界にその名を知らしめることとなる。1935年に生まれたネアルコは2歳時7戦全勝。3歳時もイタリアの大レースを勝ちまくり、さらにフランスのパリ大賞に遠征して英仏のダービー馬をひとまとめに負かした。次元の違う強さにネアルコは「セントサイモンの再来」と騒がれ、獲得合戦の末にイギリス人の手に渡った。しかし、その直後に第2次世界大戦が勃発。ドイツ軍の空襲で避難したり、郊外に疎開したりで満足な種付けができなかったが、それでも戦争終結直後の1947~49年に3年連続して英リーディングサイヤーに輝いた。当時のイタリアは競馬も生産も二流国だった。だが、この異端の地で生まれたネアルコの影響力はすさまじく、その後のサラブレッドの質や血統的な価値観までも大きく変えていくこととなった。代表産駒にはダンテ(英ダービー)、ニンバス(英ダービー、輸入種牡馬)、サヤジラオ(英セントレジャー)などステイヤーが多かったが、今日に至るまで強い影響力を及ぼしたのは、むしろスタミナではなくスピードに優れた馬たちだった。時あたかもアメリカを中心に、長距離重視の競馬から、短中距離と2歳戦重視の競馬へと移行しようとしていた。ネアルコが伝えた抜群の仕上がりの良さ、ダッシュ力、類まれなるスピードと闘争心が、この新たなニーズにみごとにマッチしたのである。なかでもナスルーラ系、ノーザンダンサー系、ロイヤルチャージャー系は子孫の発展が素晴らしく、これら3系統が革命の推進役となって、サラブレッドの血統を猛スピードで塗り替えていった。今日ではサラブレッドのほとんどにこのネアルコの血が流れているが、父系の拡大発展も半端ではなく、同じネアルコ系の支流同士が覇権争いを繰り広げているのが現状だ。近年、日本に未曾有の血統革命をもたらしたサンデーサイレンスも、ネアルコ~ロイヤルチャージャーの支流から誕生している。」が特徴とされている。