年度 | 順位 | 出走回数 | 1着 | 2着 | 3着 | 着外 | 勝率 | 連対率 | 複勝率 | 総賞金 | 出走頭数 | EI |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1996 | 455 | 9 | 0 | 2 | 1 | 6 | 0.0% | 22.2% | 33.3% | 1116万 | 1 | 1.26 |
1995 | 493 | 9 | 0 | 1 | 1 | 7 | 0.0% | 11.1% | 22.2% | 814.6万 | 2 | 0.47 |
1994 | 322 | 17 | 3 | 1 | 2 | 11 | 17.6% | 23.5% | 35.3% | 3193.6万 | 3 | 1.23 |
1993 | 188 | 18 | 1 | 2 | 2 | 13 | 5.6% | 16.7% | 27.8% | 6857万 | 3 | 2.60 |
1992 | 192 | 33 | 4 | 2 | 2 | 25 | 12.1% | 18.2% | 24.2% | 6476万 | 5 | 1.45 |
1991 | 160 | 71 | 5 | 4 | 2 | 60 | 7.0% | 12.7% | 15.5% | 7838万 | 15 | 0.60 |
1990 | 130 | 156 | 8 | 7 | 10 | 131 | 5.1% | 9.6% | 16.0% | 9680万 | 26 | 0.45 |
1989 | 56 | 156 | 13 | 12 | 9 | 122 | 8.3% | 16.0% | 21.8% | 2億6129万 | 24 | 1.38 |
1988 | 96 | 177 | 12 | 16 | 11 | 138 | 6.8% | 15.8% | 22.0% | 1億5452万 | 37 | 0.54 |
1987 | 121 | 203 | 9 | 7 | 11 | 176 | 4.4% | 7.9% | 13.3% | 1億971万 | 39 | 0.38 |
1986 | 84 | 208 | 13 | 11 | 13 | 171 | 6.3% | 11.5% | 17.8% | 1億3933万 | 37 | 0.55 |
年度 | 順位 | 出走回数 | 1着 | 2着 | 3着 | 着外 | 勝率 | 連対率 | 複勝率 | 総賞金 | 出走頭数 | EI |
当サイトではJRA(日本中央競馬)のみを対象として算出しています。EI:アーニングインデックス(Average Earning Index)とは、競馬においては、種牡馬の成績を表す1つの指標で、種牡馬別の産駒収得賞金に関する指標で 全競走における競走馬1頭あたりの収得賞金に対する、ある種牡馬の産駒1頭あたりの収得賞金の比率をあらわしたものです。
計算式は (産駒の総収得賞金÷産駒の出走頭数)÷(全出走馬収得賞金÷総出走頭数) です。
ヴアリイフオージユは1975に生まれたPetingo産駒の種牡馬。
リーディングサイアーの最高は1989年度の第56位となっている。
リーディングサイアー(Leading Sire)とは、産駒の獲得賞金の合計額による種牡馬の順位のこと。年度別実績一覧では「順位」として表記しています。
系統はフェアウェイで「フェアウェイの全兄ファロスが出したネアルコは、20世紀後半のサラブレッドの血統に一大革命をもたらし、今日も圧倒的支配を誇っている。このためフェアウェイの存在感が薄れてしまったが、血統史における功績は上位にランクされるものである。英セントレジャー優勝の勲章を引き下げ、1931年からイギリスで種牡馬入りしたフェアウェイは、英リーディングサイヤーに1936、1939、1943、1944年の4回輝いた。後継種牡馬もフェアトライアル(英リーディングサイヤー)、フェアコピー(英リーディングサイヤー)、ソルフェリーノ、ハニーウェイらの成功が相次ぎ、その血は世界に広がった。またフェアトライアルから出たコートマーシャルは、1956~57年のリーディングサイヤーとなり、ペティションも1959年の英リーディングサイヤーとなった。さらにペティションから出たペティンゴも、1979年に英リーディングサイヤーとなっている。力強いステイヤー血脈として栄え、第2次世界大戦後の一時期、欧州ではかなりの影響力を及ぼしていた。2頭の全兄弟がこれほど揃って成功した例は珍しい。日本でもハロウェーがタニノハローモア(日本ダービー)を、ソロナウェーがテイトオー(日本ダービー)を出すなどして、1960~70年代に一世を風靡した。フェアウェイ系は他にもエルセンタウロ、グランディ、ピットカーン、ソルティンゴなど数多く輸入されている。ただ、1980年代以降は全体に不振で、スピードと決め手を欠くことが多かった。」が特徴とされている。