ヘクタープロテクターの産駒成績

ヘクタープロテクター(牡)

生年 1988年


年度別実績一覧
年度 順位 出走回数 1着 2着 3着 着外 勝率 連対率 複勝率 総賞金 出走頭数 EI
2018 407 3 0 0 0 3 0.0% 0.0% 0.0% 0 1 0.00
2017 422 7 0 0 0 7 0.0% 0.0% 0.0% 0 1 0.00
2016 418 7 0 0 0 7 0.0% 0.0% 0.0% 0 1 0.00
2015 192 15 1 1 1 12 6.7% 13.3% 20.0% 2699.3万 4 1.10
2014 163 54 2 0 5 47 3.7% 3.7% 13.0% 3945.8万 11 0.59
2013 147 60 4 5 4 47 6.7% 15.0% 21.7% 4957万 10 0.83
2012 128 60 4 3 5 48 6.7% 11.7% 20.0% 5982万 15 0.67
2011 128 96 4 4 5 83 4.2% 8.3% 13.5% 6868.9万 27 0.41
2010 151 122 3 5 3 111 2.5% 6.6% 9.0% 5562.6万 33 0.27
2009 86 244 8 7 15 214 3.3% 6.1% 12.3% 1億5458.7万 63 0.39
2008 82 304 12 9 21 262 3.9% 6.9% 13.8% 1億8188.7万 72 0.40
2007 42 307 21 13 23 250 6.8% 11.1% 18.6% 3億6017.9万 80 0.69
2006 50 284 18 17 20 229 6.3% 12.3% 19.4% 3億158.7万 71 0.65
2005 66 288 17 8 22 241 5.9% 8.7% 16.3% 2億4788.3万 72 0.52
2004 69 127 11 11 9 96 8.7% 17.3% 24.4% 2億1817.3万 34 0.94
2003 98 103 7 8 6 82 6.8% 14.6% 20.4% 1億4597.1万 22 0.95
2002 63 227 9 13 8 197 4.0% 9.7% 13.2% 2億8590.6万 38 1.03
2001 14 483 32 44 42 365 6.6% 15.7% 24.4% 7億7121.2万 82 1.23
2000 12 645 55 49 46 495 8.5% 16.1% 23.3% 8億6135万 118 0.90
1999 7 737 70 51 63 553 9.5% 16.4% 25.0% 12億45.8万 133 1.08
1998 8 656 61 48 56 491 9.3% 16.6% 25.2% 9億7497.7万 123 0.91
1997 9 479 65 38 40 336 13.6% 21.5% 29.9% 9億318万 101 1.03
1996 29 257 30 27 24 176 11.7% 22.2% 31.5% 4億5529万 61 0.84
1995 90 46 14 6 4 22 30.4% 43.5% 52.2% 1億8417.3万 19 1.11
年度 順位 出走回数 1着 2着 3着 着外 勝率 連対率 複勝率 総賞金 出走頭数 EI


EI:アーニングインデックス(Average Earning Index)とは、競馬においては、種牡馬の成績を表す1つの指標で、種牡馬別の産駒収得賞金に関する指標で 全競走における競走馬1頭あたりの収得賞金に対する、ある種牡馬の産駒1頭あたりの収得賞金の比率をあらわしたものです。
計算式は (産駒の総収得賞金÷産駒の出走頭数)÷(全出走馬収得賞金÷総出走頭数) です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/アーニングインデックス
  当サイトではJRA(日本中央競馬)のみを対象として算出しています。




ヘクタープロテクターは1988に生まれたWoodman産駒の種牡馬。
リーディングサイアーの最高は1999年度の第7位となっている。
リーディングサイアー(Leading Sire)とは、産駒の獲得賞金の合計額による種牡馬の順位のこと。年度別実績一覧では「順位」として表記しています。
系統はウッドマンで「父が新進気鋭のミスタープロスペクター、母が米2歳牝馬チャンピオンに輝いたナンバードアカウントの全妹。この良血配合で生まれたウッドマンは1984年の米キーンランドセールにおいて、300万ドル(当時7億500万円)の高額で落札された。デビューから愛GⅢを含めて3連勝し、愛2歳牡馬チャンピオンとなってクラシックを期待されたが、3歳の緒戦に選ばれたレースで故障を発生して引退が決まった。しかし種牡馬となるや、その血統の良さをフルに伝えて大成功。ミスタープロスペクター系初期の最良後継種牡馬となった。初年度産駒からヘクタープロテクター(仏2000ギニー、欧州2歳牡馬チャンピオン)、ハンセル(プリークネスS、ベルモントS、米3歳牡馬チャンピオン)を送り出し、その後もティンバーカントリー(プリークネスS、米2歳牡馬チャンピオン)、ボスラシャム(英1000ギニー)ら数多くの一流馬を世に送り出した。ミスタープロスペクターが北米だけでなく欧州にも向くことを、いち早く実証したのがミスワキだったが、次いで実証したのがこのウッドマンだった。1990年代に北米とフランスのリーディングサイヤーに、それぞれ2度輝いている。日本の競馬にも適性が高く、ヒシアケボノ(スプリンターズS)を筆頭に多数の重賞勝ち馬を出した。この時代の日本はバブル期だったこともあるが、ウッドマンの代表産駒であるヘクタープロテクター、ティンバーカントリー、ハンセルの大物3頭すべてが輸入され、他にシーロ、ウェイオブライトのGⅠ勝ち馬も相次いで輸入された。このうちティンバーカントリーはアドマイヤドン(JBCクラシック3回)らを、ヘクタープロテクターもセンターライジング(サンスポ賞4歳牝馬特別)らを出す成功を収めた。ただ、ともにスピードよりもパワーが勝っており、日本の軽い芝でその持ち味を存分に生かしたとは言いがたい。」が特徴とされている。