ティンバーカントリーの産駒成績

ティンバーカントリー(牡)

生年 1992年


年度別実績一覧
年度 順位 出走回数 1着 2着 3着 着外 勝率 連対率 複勝率 総賞金 出走頭数 EI
2022 397 6 0 0 0 6 0.0% 0.0% 0.0% 0 1 0.00
2021 295 9 0 0 0 9 0.0% 0.0% 0.0% 670万 2 0.53
2020 233 7 2 0 0 5 28.6% 28.6% 28.6% 1550万 1 2.51
2019 276 15 0 2 0 13 0.0% 13.3% 13.3% 908万 4 0.37
2018 409 22 0 0 0 22 0.0% 0.0% 0.0% 0 5 0.00
2017 344 20 0 0 1 19 0.0% 0.0% 5.0% 200万 4 0.08
2016 208 20 2 1 1 16 10.0% 15.0% 20.0% 2130万 5 0.68
2015 151 45 3 5 2 35 6.7% 17.8% 22.2% 4390万 7 1.02
2014 179 46 2 4 1 39 4.3% 13.0% 15.2% 2989.8万 15 0.33
2013 126 96 4 7 6 79 4.2% 11.5% 17.7% 6491万 30 0.36
2012 97 147 5 4 7 131 3.4% 6.1% 10.9% 9855.7万 40 0.42
2011 53 322 10 15 29 268 3.1% 7.8% 16.8% 2億3117.7万 61 0.62
2010 43 394 21 26 17 330 5.3% 11.9% 16.2% 3億4980.1万 84 0.67
2009 39 445 27 26 35 357 6.1% 11.9% 19.8% 4億8804.1万 100 0.78
2008 39 596 24 32 29 511 4.0% 9.4% 14.3% 4億6256.4万 136 0.54
2007 35 545 25 31 35 454 4.6% 10.3% 16.7% 4億7149万 130 0.55
2006 27 413 22 17 19 355 5.3% 9.4% 14.0% 5億912.5万 102 0.76
2005 20 322 18 19 22 263 5.6% 11.5% 18.3% 6億4971.3万 66 1.48
2004 16 490 38 43 34 375 7.8% 16.5% 23.5% 8億7075.6万 90 1.42
2003 11 714 55 51 42 566 7.7% 14.8% 20.7% 10億2849.6万 140 1.05
2002 12 748 47 54 56 591 6.3% 13.5% 21.0% 8億7081.6万 143 0.84
2001 15 654 52 46 56 500 8.0% 15.0% 23.5% 7億4692.7万 124 0.79
2000 32 451 37 29 35 350 8.2% 14.6% 22.4% 4億8053万 88 0.67
1999 166 88 7 5 8 68 8.0% 13.6% 22.7% 8824.5万 28 0.38
年度 順位 出走回数 1着 2着 3着 着外 勝率 連対率 複勝率 総賞金 出走頭数 EI


EI:アーニングインデックス(Average Earning Index)とは、競馬においては、種牡馬の成績を表す1つの指標で、種牡馬別の産駒収得賞金に関する指標で 全競走における競走馬1頭あたりの収得賞金に対する、ある種牡馬の産駒1頭あたりの収得賞金の比率をあらわしたものです。
計算式は (産駒の総収得賞金÷産駒の出走頭数)÷(全出走馬収得賞金÷総出走頭数) です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/アーニングインデックス
  当サイトではJRA(日本中央競馬)のみを対象として算出しています。




ティンバーカントリーは1992に生まれたWoodman産駒の種牡馬。
リーディングサイアーの最高は2003年度の第11位となっている。
リーディングサイアー(Leading Sire)とは、産駒の獲得賞金の合計額による種牡馬の順位のこと。年度別実績一覧では「順位」として表記しています。
系統はウッドマンで「父が新進気鋭のミスタープロスペクター、母が米2歳牝馬チャンピオンに輝いたナンバードアカウントの全妹。この良血配合で生まれたウッドマンは1984年の米キーンランドセールにおいて、300万ドル(当時7億500万円)の高額で落札された。デビューから愛GⅢを含めて3連勝し、愛2歳牡馬チャンピオンとなってクラシックを期待されたが、3歳の緒戦に選ばれたレースで故障を発生して引退が決まった。しかし種牡馬となるや、その血統の良さをフルに伝えて大成功。ミスタープロスペクター系初期の最良後継種牡馬となった。初年度産駒からヘクタープロテクター(仏2000ギニー、欧州2歳牡馬チャンピオン)、ハンセル(プリークネスS、ベルモントS、米3歳牡馬チャンピオン)を送り出し、その後もティンバーカントリー(プリークネスS、米2歳牡馬チャンピオン)、ボスラシャム(英1000ギニー)ら数多くの一流馬を世に送り出した。ミスタープロスペクターが北米だけでなく欧州にも向くことを、いち早く実証したのがミスワキだったが、次いで実証したのがこのウッドマンだった。1990年代に北米とフランスのリーディングサイヤーに、それぞれ2度輝いている。日本の競馬にも適性が高く、ヒシアケボノ(スプリンターズS)を筆頭に多数の重賞勝ち馬を出した。この時代の日本はバブル期だったこともあるが、ウッドマンの代表産駒であるヘクタープロテクター、ティンバーカントリー、ハンセルの大物3頭すべてが輸入され、他にシーロ、ウェイオブライトのGⅠ勝ち馬も相次いで輸入された。このうちティンバーカントリーはアドマイヤドン(JBCクラシック3回)らを、ヘクタープロテクターもセンターライジング(サンスポ賞4歳牝馬特別)らを出す成功を収めた。ただ、ともにスピードよりもパワーが勝っており、日本の軽い芝でその持ち味を存分に生かしたとは言いがたい。」が特徴とされている。