Hasty Roadの産駒成績

Hasty Road(牡)

生年 1951年


産駒出走データがありません。

EI:アーニングインデックス(Average Earning Index)とは、競馬においては、種牡馬の成績を表す1つの指標で、種牡馬別の産駒収得賞金に関する指標で 全競走における競走馬1頭あたりの収得賞金に対する、ある種牡馬の産駒1頭あたりの収得賞金の比率をあらわしたものです。
計算式は (産駒の総収得賞金÷産駒の出走頭数)÷(全出走馬収得賞金÷総出走頭数) です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/アーニングインデックス
  当サイトではJRA(日本中央競馬)のみを対象として算出しています。




Hasty Roadは1951に生まれたRoman産駒の種牡馬。
リーディングサイアー(Leading Sire)とは、産駒の獲得賞金の合計額による種牡馬の順位のこと。年度別実績一覧では「順位」として表記しています。
系統はテディで「1880年の英ダービー馬に輝いたベンドアは、子孫にネアルコとネイティヴダンサーを出し、今日の主流血脈を形成する重要なつなぎ役を果たした。ベンドアの支流からはもう1頭、やはり20世紀後半のサラブレッドに重要な影響を与えたテディが誕生している。1歳になった年に第1次世界大戦が勃発。ドイツ軍がパリに向かって進むと、フランス人のオーナーは将来を悲観し、テディを含む1歳馬をすべて売り払った。だが、テディは疎開先のスペインでチャンピオンとなり、第1次世界大戦中に走った最良のフランス産馬の評価を得た。戦渦がなければ英仏の大レースを楽に勝っていたことだろう。だが、種牡馬となったテディはその鬱憤を晴らすかのように、オルテロ(凱旋門賞)、サーギャラハッド(仏2000ギニー)、アステリュー(仏2000ギニー)といった一流馬を次々と世に出していった。また後継種牡馬もサーギャラハッド、ブルドッグが米リーディングサイヤーに輝くなど相次いで大成功。これら子孫の拡大発展が著しく、やがてベンドア系から分離独立し、新たにテディ系が確立していった。その血は母系に入っても優れ、ナスルーラ系やノーザンダンサー系の種牡馬を相手に数多くの一流馬を出していった。1970年の英三冠馬ニジンスキーにも母の父にテディ系のブルページが入っている。日本でもダラノーア、ネプテューヌス、タマナーらが成功して一時代を築いたが、母系に入ってもやはり優秀で、ダラノーアはカブラヤオー(日本ダービー、皐月賞)の母の父となった。」が特徴とされている。