Discoveryの産駒成績

Discovery(牡)

生年 1931年


産駒出走データがありません。

EI:アーニングインデックス(Average Earning Index)とは、競馬においては、種牡馬の成績を表す1つの指標で、種牡馬別の産駒収得賞金に関する指標で 全競走における競走馬1頭あたりの収得賞金に対する、ある種牡馬の産駒1頭あたりの収得賞金の比率をあらわしたものです。
計算式は (産駒の総収得賞金÷産駒の出走頭数)÷(全出走馬収得賞金÷総出走頭数) です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/アーニングインデックス
  当サイトではJRA(日本中央競馬)のみを対象として算出しています。




Discoveryは1931に生まれたDisplay産駒の種牡馬。
リーディングサイアー(Leading Sire)とは、産駒の獲得賞金の合計額による種牡馬の順位のこと。年度別実績一覧では「順位」として表記しています。
系統はマッチェムで「ゴドルフィンアラビアンから数えて3代目、1748年に生まれたマッチェムは偉大な競走馬ではなかった。しかし種牡馬としては優秀で、さらに後継種牡馬も次々と育った。このうち1767年に生まれたコンダクターの子孫が発展し、今日まで父系血脈を残した。他の後継種牡馬の子孫は早くに絶えてしまい、残ったのはこのコンダクターの系統のみである。それがこの父系の発展をかぼそいものにしていたが、1853年、マッチェムから数えて8代目のウエストオーストラリアンがイギリスの初代三冠馬に輝いて、飛躍するきっかけをつかんだ。後世、この系統からハリーオン(1916年の英セントレジャー馬)が誕生し、種牡馬としても成功。それをプレシピテーションが繁栄させて、1950~70年代の欧州においてなかなかの勢力を誇った。この時代の代表馬にはササフラ(凱旋門賞)、サンタクロース(英ダービー)がいる。ただ、これ以後は後継がなかなか育たず、この系統のマッチェム系はすたれていった。同じウエストオーストラリアンの仔でも、アメリカに渡ったオーストラリアンの子孫は、今日も活力を維持している。オーストラリアンの仔のスペンドスリフト(1879年のベルモントS優勝馬)は、後継種牡馬となって大成功し、さらにその仔のキングストン、ヘイスティングも米リーディングサイヤーに輝いて、今日に至る発展の基礎を築いた。マッチェム系がアメリカという新天地を得て、復興への足がかりをつかんだのである。そして1917年、スペンドスリフトから数えて4代目に誕生したのが、アメリカが誇る歴史的名馬マンノウォーだった。」が特徴とされている。