リンボーの産駒成績

リンボー(牡)

生年 1949年


産駒出走データがありません。

EI:アーニングインデックス(Average Earning Index)とは、競馬においては、種牡馬の成績を表す1つの指標で、種牡馬別の産駒収得賞金に関する指標で 全競走における競走馬1頭あたりの収得賞金に対する、ある種牡馬の産駒1頭あたりの収得賞金の比率をあらわしたものです。
計算式は (産駒の総収得賞金÷産駒の出走頭数)÷(全出走馬収得賞金÷総出走頭数) です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/アーニングインデックス
  当サイトではJRA(日本中央競馬)のみを対象として算出しています。




リンボーは1949に生まれたWar Admiral産駒の種牡馬。
リーディングサイアー(Leading Sire)とは、産駒の獲得賞金の合計額による種牡馬の順位のこと。年度別実績一覧では「順位」として表記しています。
系統はマンノウォーで「第1次世界大戦のさなか、1917年にアメリカで生まれたマンノウォーは2歳の6月にデビューして、この年は10戦9勝。3歳時もプリークネスS、ベルモントSを含めて11戦不敗、うち5つがレコード勝ちという素晴らしい競走内容を残した。大きく出遅れて2着に敗れた以外は、まったくの負け知らずで通算21戦20勝。その軍艦という馬名とあいまって、アメリカ国民のナショナリズムを喚起し、絶大なる人気を得た。およそ1世紀たった今も、アメリカでは歴史的なヒーローとなっている。マンノウォーは種牡馬としても成功を収め、ウォーアドミラル(米三冠馬)、クライヴァンデューセン(ケンタッキー・ダービー)、アメリカンフラッグ(ベルモントS)、クルセイダー(ベルモントS)らを出した。また代表産駒のウォーアドミラルも、1945年の米リーディングサイヤーに輝く成功を収め、今日のサラブレッドに重要な影響を与えた。ただし、それは父系からではなく、母系からであった。母の父としてバックパサー、ネヴァーセイダイといった名馬を出し、1962年と1964年の2回、米リーディング・ブルードメアサイヤーに輝いた。代わりにマンノウォー系を発展させたのがウォーレリックで、その血をレリック、インテントが引き継いで、今日に父系を延長させている。この2つの支流がマンノウォー系の中核をなすが、ともに欧州でも活躍馬が相次いで、大きく発展する勢いを見せた時代もあった。しかし、肝心なところで伸びきれず、相変わらず傍流に位置している。それでもアメリカでは“クラシック血統”として根強い人気があり、ティズナウ、リローンチの系統を中心に今日も活躍馬を出し続けている。日本でもマンノウォーの名は、持込馬の月友の成功で古くから知られてきた。月友は戦後の復興競馬を支え、日本ダービー馬を3頭(オートキツ、カイソウ、ミノルオー)出した。以後もマンノウォー系は積極的に導入され、ヴェンチア、ミンシオ、シルバーシャークが成功。近年ではウォーニングが成功している。」が特徴とされている。