年度 | 順位 | 出走回数 | 1着 | 2着 | 3着 | 着外 | 勝率 | 連対率 | 複勝率 | 総賞金 | 出走頭数 | EI |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1997 | 658 | 7 | 0 | 0 | 0 | 7 | 0.0% | 0.0% | 0.0% | 0 | 1 | 0.00 |
1996 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | - | - | 0 | 0 | 0 | |
1995 | 680 | 20 | 0 | 0 | 0 | 20 | 0.0% | 0.0% | 0.0% | 0 | 4 | 0.00 |
1994 | 432 | 27 | 0 | 1 | 1 | 25 | 0.0% | 3.7% | 7.4% | 1333.2万 | 7 | 0.22 |
1993 | 411 | 32 | 1 | 0 | 2 | 29 | 3.1% | 3.1% | 9.4% | 1403万 | 8 | 0.20 |
1992 | 140 | 69 | 7 | 4 | 8 | 50 | 10.1% | 15.9% | 27.5% | 9972万 | 14 | 0.80 |
1991 | 71 | 108 | 9 | 7 | 10 | 82 | 8.3% | 14.8% | 24.1% | 2億3725万 | 22 | 1.24 |
1990 | 68 | 224 | 16 | 18 | 15 | 175 | 7.1% | 15.2% | 21.9% | 2億3023.5万 | 40 | 0.70 |
1989 | 43 | 288 | 27 | 17 | 25 | 219 | 9.4% | 15.3% | 24.0% | 3億1638万 | 52 | 0.77 |
1988 | 41 | 297 | 27 | 34 | 23 | 213 | 9.1% | 20.5% | 28.3% | 3億4752万 | 46 | 0.98 |
1987 | 40 | 321 | 18 | 35 | 37 | 231 | 5.6% | 16.5% | 28.0% | 2億9534万 | 51 | 0.78 |
1986 | 31 | 270 | 29 | 20 | 20 | 201 | 10.7% | 18.1% | 25.6% | 3億5180万 | 51 | 1.00 |
年度 | 順位 | 出走回数 | 1着 | 2着 | 3着 | 着外 | 勝率 | 連対率 | 複勝率 | 総賞金 | 出走頭数 | EI |
当サイトではJRA(日本中央競馬)のみを対象として算出しています。EI:アーニングインデックス(Average Earning Index)とは、競馬においては、種牡馬の成績を表す1つの指標で、種牡馬別の産駒収得賞金に関する指標で 全競走における競走馬1頭あたりの収得賞金に対する、ある種牡馬の産駒1頭あたりの収得賞金の比率をあらわしたものです。
計算式は (産駒の総収得賞金÷産駒の出走頭数)÷(全出走馬収得賞金÷総出走頭数) です。
サンシーは1969に生まれたSanctus産駒の種牡馬。
リーディングサイアーの最高は1986年度の第31位となっている。
リーディングサイアー(Leading Sire)とは、産駒の獲得賞金の合計額による種牡馬の順位のこと。年度別実績一覧では「順位」として表記しています。
系統はゲインズボローで「第1次世界大戦のさなか、ゲインズボローはイギリスで13頭目の三冠馬に輝いた。戦局の悪化で能力検定レースとして行われたため、戦後、三冠馬として認めるべきかどうかの論争が起こった。だが、歴史的名馬にして名種牡馬のハイペリオンを出したことで、その論争にも終止符が打たれた。ハイペリオンは種牡馬となっても大成功し、1940年~54年にかけて英リーディングサイヤーに6回輝いた。その血は世界にも伝播してそれぞれの国で独自のサイヤーラインを築き、父をはるかにしのぐ繁栄ぶりを見せた。しかし、ゲインズボローが単にハイペリオンの父だけでなかったことは、支流のサンクタス系を見ても明らかである。この系統は近年、日本でもサッカーボーイ(マイルCS)、ナリタトップロード(菊花賞)、ヒシミラクル(菊花賞)を出す活躍を見せている。ゲインズボロー系の本質はステイヤー血脈で、競走時代はマイラーでも、種牡馬としては父系のスタミナを伝えることが多い。サッカーボーイから菊花賞馬が2頭出たのも納得のいく話である。戦前のゲインズボロー系としては、1926年に下総御料牧場が輸入したトウルヌソルが有名だ。シアンモアとともに戦前の2大種牡馬として君臨し、日本ダービー馬だけでもクモハタ、クリフジなど6頭出した。クリフジは牝馬ながら11戦不敗、日本ダービーだけでなく菊花賞も勝った女傑だった。またクモハタは後継種牡馬となって成功し、1951~57年まで6年連続でリーディングサイヤーに輝いている。」が特徴とされている。