ホワイトフオンテンの産駒成績

ホワイトフオンテン(牡)

生年 1970年


年度別実績一覧
年度 順位 出走回数 1着 2着 3着 着外 勝率 連対率 複勝率 総賞金 出走頭数 EI
1992 292 29 1 0 2 26 3.4% 3.4% 10.3% 2952万 3 1.10
1991 180 36 3 6 5 22 8.3% 25.0% 38.9% 5959万 5 1.37
1990 233 53 4 1 1 47 7.5% 9.4% 11.3% 3805万 7 0.66
1989 172 49 3 3 2 41 6.1% 12.2% 16.3% 6555万 7 1.18
1988 138 78 8 5 5 60 10.3% 16.7% 23.1% 8980万 12 0.97
1987 131 97 8 13 6 70 8.2% 21.6% 27.8% 9842万 15 0.88
1986 130 71 6 9 1 55 8.5% 21.1% 22.5% 7875万 11 1.04


EI:アーニングインデックス(Average Earning Index)とは、競馬においては、種牡馬の成績を表す1つの指標で、種牡馬別の産駒収得賞金に関する指標で 全競走における競走馬1頭あたりの収得賞金に対する、ある種牡馬の産駒1頭あたりの収得賞金の比率をあらわしたものです。
計算式は (産駒の総収得賞金÷産駒の出走頭数)÷(全出走馬収得賞金÷総出走頭数) です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/アーニングインデックス
  当サイトではJRA(日本中央競馬)のみを対象として算出しています。




ホワイトフオンテンは1970に生まれたノーアリバイ産駒の種牡馬。
リーディングサイアーの最高は1986年度の第130位となっている。
リーディングサイアー(Leading Sire)とは、産駒の獲得賞金の合計額による種牡馬の順位のこと。年度別実績一覧では「順位」として表記しています。
系統はネイティブダンサーで「ナスルーラ系、ノーザンダンサー系と並ぶ今日の世界3大主流である。その祖となったネイティヴダンサーは芦毛の歴史的名馬で、1950年代のアメリカで22戦21勝。三冠第1弾のケンタッキーダービーで不覚を取った以外は無敵の強さを誇った。2歳時は9戦全勝。獲得賞金は当時の2歳馬としては世界最高額に達し、3歳馬や古馬をさしおいて年度代表馬に選ばれている。4歳時も年度代表馬に選ばれたが、ゴール前の白熱した優勝争いは全米に普及しつつあったテレビで流された。当時はまだモノクロの時代。ネイティヴダンサーの芦毛が白さを増すにつれ、その強さはひときわ目について観る者を魅了し、国民的英雄となっていった。そのネイティヴダンサーの血を今日の発展に導いたのは、面白いことに一流競走馬ではなく、多くが競走成績で見劣る馬たちだった。ダンキューピッドは仏ダービー2着の実績で種牡馬入りし、歴史的名馬シーバード(英ダービー)を出した。ネイティヴダンサー系から出た最初の大物である。シーバードは種牡馬としても成功したが、残念ながら父系を今日に発展させることはできなかった。エタン(輸入種牡馬)は欧州におけるネイティヴダンサー系を早くに根づかせたが、競走成績はわずか1勝したのみの無名種牡馬だった。しかし、シャーペンアップを経由してクリス、ダイイシスらの大物種牡馬が誕生し、欧州における貴重なステイヤー血脈を築き上げた。ネイティヴダンサー系を今日の繁栄に導いたレイズアネイティヴも、資質の高さを見せながら骨折によって早くに競走生命を絶たれ、競走成績は2歳時の4戦4勝のみで誇れる勲章はなかった。だが、ネイティヴダンサーの全後継種牡馬のなかで最も優れた遺伝力を発揮し、歴史的名馬の血をみごとに復活させた。その遺伝力は後継種牡馬にも及び、ミスタープロスペクター、アリダー、イクスクルーシヴネイティヴ、マジェスティックプリンスといった優秀な支流が次々と育っていった。傍流に甘んじていたネイティヴダンサー系は、これによって加速度的に勢いを増し、アメリカを代表する主流血脈にのし上がった。さらにはミスタープロスペクター系がその血を欧州へと発展させ、今日の世界3大主流の地位を築き上げている。」が特徴とされている。