マンオブビイジヨンの産駒成績

マンオブビイジヨン(牡)

生年 1976年


年度別実績一覧
年度 順位 出走回数 1着 2着 3着 着外 勝率 連対率 複勝率 総賞金 出走頭数 EI
1996 651 2 0 0 0 2 0.0% 0.0% 0.0% 0 1 0.00
1995 0 0 0 0 0 - - - 0 0 0
1994 594 1 0 0 0 1 0.0% 0.0% 0.0% 250万 1 0.29
1993 332 21 1 1 3 16 4.8% 9.5% 23.8% 2449万 2 1.39
1992 172 46 6 3 3 34 13.0% 19.6% 26.1% 7308万 9 0.91
1991 148 95 5 9 5 76 5.3% 14.7% 20.0% 9223万 14 0.76
1990 108 148 9 5 12 122 6.1% 9.5% 17.6% 1億3357万 25 0.65
1989 49 190 20 20 24 126 10.5% 21.1% 33.7% 2億8055.5万 32 1.11
1988 53 214 21 23 22 148 9.8% 20.6% 30.8% 2億6281万 36 0.95
1987 96 192 12 16 12 152 6.3% 14.6% 20.8% 1億3863万 37 0.50
1986 79 123 14 17 14 78 11.4% 25.2% 36.6% 1億5390万 21 1.06
年度 順位 出走回数 1着 2着 3着 着外 勝率 連対率 複勝率 総賞金 出走頭数 EI


EI:アーニングインデックス(Average Earning Index)とは、競馬においては、種牡馬の成績を表す1つの指標で、種牡馬別の産駒収得賞金に関する指標で 全競走における競走馬1頭あたりの収得賞金に対する、ある種牡馬の産駒1頭あたりの収得賞金の比率をあらわしたものです。
計算式は (産駒の総収得賞金÷産駒の出走頭数)÷(全出走馬収得賞金÷総出走頭数) です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/アーニングインデックス
  当サイトではJRA(日本中央競馬)のみを対象として算出しています。




マンオブビイジヨンは1976に生まれたNever Say Die産駒の種牡馬。
リーディングサイアーの最高は1989年度の第49位となっている。
リーディングサイアー(Leading Sire)とは、産駒の獲得賞金の合計額による種牡馬の順位のこと。年度別実績一覧では「順位」として表記しています。
系統はナスルーラで「第2次世界大戦後、サラブレッドの血統に一大革命をもたらしたネアルコは、数多くの優秀な後継種牡馬を残したが、そのなかで最も成功したのが1940年にアイルランドで生まれたナスルーラだった。抜群の仕上がりで2歳6月にデビュー。続くイギリス伝統の2歳重賞コヴェントリーSを大楽勝で初勝利を飾り、素質の高さを強烈に印象づけた。しかし、気性難で成績が安定せず、本命に推された英2000ギニーは着外。英ダービーは3着とまずまずだったが、英セントレジャーではまたも気の悪さをさらけ出して着外に沈み、クラシックは無冠に終わった。1944年に種牡馬入りすると、気の悪さはさらにひどくなって凶暴な馬と化し、世話する人間を次々と襲った。だが、この激しい気性が子孫には優れた闘争心に転じ、抜群のスピード、瞬発力、勝負根性、仕上がりを誇るサイヤーラインとして繁栄していった。イギリス伝統の長距離競馬から脱却し、2歳戦と短距離戦に力を入れようとするアメリカにとって、ナスルーラほどおあつらえ向きの血統はなかったし、ナスルーラにとってもこれほど成功へのお膳立てはなかったといえる。ナスルーラは米リーディングサイヤーに5回輝いたが、後継種牡馬のボールドルーラーはそれ以上の8回も輝く素晴らしさで、1960~70年代のアメリカにおいては他を圧倒していた。またナスルーラは英リーディングサイヤーにも輝き、単にアメリカだけの血統ではないことを示した。さらに後継種牡馬もグレイソヴリン、レッドゴッド、プリンスリーギフト、ネヴァーセイダイらが相次いで成功。これにアメリカのボールドルーラー、ネヴァーベンドを加えた6系統を軸に世界的に繁栄していった。初期におけるナスルーラ系はスピード血脈でスタミナが課題だったが、配合牝馬からスタミナが注入されて、徐々に適距離を延ばしていった。その過程からミルリーフ系、ブラッシンググルーム系、ゼダーン系のようなステイヤー血脈が誕生している。長距離競馬に「スピードがスタミナを制する」逆転現象を引き起こしたのも、これら3系統を中心としたナスルーラの血を引く子孫たちである。日本もナスルーラ系の影響を強く受け、テスコボーイに代表されるプリンスリーギフト系が、1970~80年代において全盛を誇った。テスコボーイの血はトウショウボーイ、次いでサクラユタカオー、サクラバクシンオーの父子が引き継ぎ、貴重な内国産父系を築き上げている。」が特徴とされている。