年度 | 順位 | 出走回数 | 1着 | 2着 | 3着 | 着外 | 勝率 | 連対率 | 複勝率 | 総賞金 | 出走頭数 | EI |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1999 | 623 | 4 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0.0% | 0.0% | 0.0% | 0 | 1 | 0.00 |
1998 | 534 | 13 | 0 | 0 | 1 | 12 | 0.0% | 0.0% | 7.7% | 300万 | 2 | 0.17 |
1997 | 391 | 33 | 1 | 1 | 4 | 27 | 3.0% | 6.1% | 18.2% | 1510万 | 7 | 0.25 |
1996 | 144 | 97 | 6 | 9 | 7 | 75 | 6.2% | 15.5% | 22.7% | 1億2260.9万 | 15 | 0.93 |
1995 | 125 | 73 | 4 | 4 | 2 | 63 | 5.5% | 11.0% | 13.7% | 1億3150.3万 | 12 | 1.26 |
1994 | 102 | 130 | 7 | 12 | 6 | 105 | 5.4% | 14.6% | 19.2% | 1億5747.6万 | 24 | 0.76 |
1993 | 72 | 128 | 10 | 20 | 6 | 92 | 7.8% | 23.4% | 28.1% | 2億3314万 | 21 | 1.26 |
1992 | 42 | 174 | 23 | 21 | 17 | 113 | 13.2% | 25.3% | 35.1% | 3億8688.5万 | 30 | 1.44 |
1991 | 67 | 163 | 13 | 18 | 19 | 113 | 8.0% | 19.0% | 30.7% | 2億5066万 | 29 | 1.00 |
1990 | 54 | 139 | 13 | 12 | 13 | 101 | 9.4% | 18.0% | 27.3% | 2億6723万 | 26 | 1.25 |
1989 | 176 | 36 | 6 | 5 | 3 | 22 | 16.7% | 30.6% | 38.9% | 6123万 | 12 | 0.64 |
年度 | 順位 | 出走回数 | 1着 | 2着 | 3着 | 着外 | 勝率 | 連対率 | 複勝率 | 総賞金 | 出走頭数 | EI |
当サイトではJRA(日本中央競馬)のみを対象として算出しています。EI:アーニングインデックス(Average Earning Index)とは、競馬においては、種牡馬の成績を表す1つの指標で、種牡馬別の産駒収得賞金に関する指標で 全競走における競走馬1頭あたりの収得賞金に対する、ある種牡馬の産駒1頭あたりの収得賞金の比率をあらわしたものです。
計算式は (産駒の総収得賞金÷産駒の出走頭数)÷(全出走馬収得賞金÷総出走頭数) です。
タツプオンウツドは1976に生まれたSallust産駒の種牡馬。
リーディングサイアーの最高は1992年度の第42位となっている。
リーディングサイアー(Leading Sire)とは、産駒の獲得賞金の合計額による種牡馬の順位のこと。年度別実績一覧では「順位」として表記しています。
系統はフェアウェイで「フェアウェイの全兄ファロスが出したネアルコは、20世紀後半のサラブレッドの血統に一大革命をもたらし、今日も圧倒的支配を誇っている。このためフェアウェイの存在感が薄れてしまったが、血統史における功績は上位にランクされるものである。英セントレジャー優勝の勲章を引き下げ、1931年からイギリスで種牡馬入りしたフェアウェイは、英リーディングサイヤーに1936、1939、1943、1944年の4回輝いた。後継種牡馬もフェアトライアル(英リーディングサイヤー)、フェアコピー(英リーディングサイヤー)、ソルフェリーノ、ハニーウェイらの成功が相次ぎ、その血は世界に広がった。またフェアトライアルから出たコートマーシャルは、1956~57年のリーディングサイヤーとなり、ペティションも1959年の英リーディングサイヤーとなった。さらにペティションから出たペティンゴも、1979年に英リーディングサイヤーとなっている。力強いステイヤー血脈として栄え、第2次世界大戦後の一時期、欧州ではかなりの影響力を及ぼしていた。2頭の全兄弟がこれほど揃って成功した例は珍しい。日本でもハロウェーがタニノハローモア(日本ダービー)を、ソロナウェーがテイトオー(日本ダービー)を出すなどして、1960~70年代に一世を風靡した。フェアウェイ系は他にもエルセンタウロ、グランディ、ピットカーン、ソルティンゴなど数多く輸入されている。ただ、1980年代以降は全体に不振で、スピードと決め手を欠くことが多かった。」が特徴とされている。