年度 | 順位 | 出走回数 | 1着 | 2着 | 3着 | 着外 | 勝率 | 連対率 | 複勝率 | 総賞金 | 出走頭数 | EI |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2002 | 350 | 6 | 1 | 1 | 0 | 4 | 16.7% | 33.3% | 33.3% | 1130万 | 2 | 0.78 |
2001 | 393 | 22 | 1 | 0 | 1 | 20 | 4.5% | 4.5% | 9.1% | 1125万 | 4 | 0.37 |
2000 | 336 | 46 | 0 | 3 | 1 | 42 | 0.0% | 6.5% | 8.7% | 1930.8万 | 11 | 0.22 |
1999 | 137 | 121 | 6 | 10 | 3 | 102 | 5.0% | 13.2% | 15.7% | 1億1419.6万 | 25 | 0.54 |
1998 | 191 | 97 | 5 | 1 | 6 | 85 | 5.2% | 6.2% | 12.4% | 7232.1万 | 21 | 0.40 |
1997 | 113 | 154 | 12 | 8 | 10 | 124 | 7.8% | 13.0% | 19.5% | 1億4850.6万 | 32 | 0.53 |
1996 | 125 | 177 | 8 | 12 | 17 | 140 | 4.5% | 11.3% | 20.9% | 1億5348.3万 | 35 | 0.50 |
1995 | 69 | 196 | 14 | 13 | 17 | 152 | 7.1% | 13.8% | 22.4% | 2億5636万 | 32 | 0.92 |
1994 | 59 | 194 | 22 | 16 | 17 | 139 | 11.3% | 19.6% | 28.4% | 2億9646.6万 | 39 | 0.88 |
1993 | 76 | 193 | 15 | 19 | 19 | 140 | 7.8% | 17.6% | 27.5% | 2億2159万 | 33 | 0.76 |
1992 | 203 | 29 | 6 | 4 | 6 | 13 | 20.7% | 34.5% | 55.2% | 5944万 | 9 | 0.74 |
年度 | 順位 | 出走回数 | 1着 | 2着 | 3着 | 着外 | 勝率 | 連対率 | 複勝率 | 総賞金 | 出走頭数 | EI |
当サイトではJRA(日本中央競馬)のみを対象として算出しています。EI:アーニングインデックス(Average Earning Index)とは、競馬においては、種牡馬の成績を表す1つの指標で、種牡馬別の産駒収得賞金に関する指標で 全競走における競走馬1頭あたりの収得賞金に対する、ある種牡馬の産駒1頭あたりの収得賞金の比率をあらわしたものです。
計算式は (産駒の総収得賞金÷産駒の出走頭数)÷(全出走馬収得賞金÷総出走頭数) です。
テンパレートシルは1984に生まれたTemperence Hill産駒の種牡馬。
リーディングサイアーの最高は1994年度の第59位となっている。
リーディングサイアー(Leading Sire)とは、産駒の獲得賞金の合計額による種牡馬の順位のこと。年度別実績一覧では「順位」として表記しています。
系統はヘイルトゥリーズンで「日本におけるロイヤルチャージャー系は、古くはスピードシンボリ(有馬記念2回)が有名だが、発展性に欠けて長く傍流父系の道を歩んできた。しかし、支流父系のヘイルトゥリーズン系から出たリアルシャダイ、ブライアンズタイム、サンデーサイレンスが相次いで大成功し、日本を代表する主流父系へとのし上がった。ヘイルトゥリーズンは抜群の仕上がりを見せて2歳の1月にデビューし、アメリカの主要2歳重賞レースを勝ちまくったが、9月になって種子骨をいためて引退が決まった。このときすでに18戦9勝のキャリアで、翌1961年には3歳になったばかりで種牡馬入りしており、何から何まで早かった。初年度産駒がデビューすると、これまた早くも重賞勝ちラッシュ。さらに1970年には、前年まで6年連続で米リーディングサイヤーとなっていたボールドルーラーを引きずり下ろし、米リーディングサイヤーに輝いた。同年のアメリカ年度代表馬に選ばれたパーソナリティ(プリークネスS、輸入種牡馬)の活躍がものをいった。以後もヘイルトゥリーズンからはロベルト(英ダービー)、ヘイロー(ユナイテッドネーションズH)、ボールドリーズン(トラヴァーズS)、ストップザミュージック(シャンペンS)といった活躍馬が続々と誕生。これらは後継種牡馬としても成功したが、とくにロベルト、ヘイローの2系統が大成功して今日の発展へと導いた。どちらもノーザンダンサー系牝馬との和合性に優れ、それが躍進の原動力となった。」が特徴とされている。