年度 | 順位 | 出走回数 | 1着 | 2着 | 3着 | 着外 | 勝率 | 連対率 | 複勝率 | 総賞金 | 出走頭数 | EI |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2003 | 577 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0.0% | 0.0% | 0.0% | 0 | 1 | 0.00 |
2002 | 600 | 5 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0.0% | 0.0% | 0.0% | 0 | 1 | 0.00 |
2001 | 432 | 5 | 0 | 1 | 0 | 4 | 0.0% | 20.0% | 20.0% | 731.4万 | 1 | 0.96 |
2000 | 227 | 8 | 3 | 0 | 2 | 3 | 37.5% | 37.5% | 62.5% | 4535.1万 | 1 | 5.57 |
1999 | 416 | 13 | 1 | 1 | 2 | 9 | 7.7% | 15.4% | 30.8% | 1180万 | 2 | 0.70 |
1998 | 470 | 7 | 0 | 1 | 0 | 6 | 0.0% | 14.3% | 14.3% | 697万 | 3 | 0.27 |
1997 | 229 | 18 | 2 | 1 | 3 | 12 | 11.1% | 16.7% | 33.3% | 5599万 | 2 | 3.21 |
1996 | 230 | 12 | 2 | 3 | 1 | 6 | 16.7% | 41.7% | 50.0% | 5630.5万 | 2 | 3.19 |
1995 | 290 | 18 | 2 | 5 | 2 | 9 | 11.1% | 38.9% | 50.0% | 3689.5万 | 2 | 2.12 |
1994 | 410 | 8 | 1 | 2 | 2 | 3 | 12.5% | 37.5% | 62.5% | 1575万 | 1 | 1.82 |
1993 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | - | - | 0 | 0 | 0 | |
1992 | 337 | 11 | 1 | 1 | 3 | 6 | 9.1% | 18.2% | 45.5% | 2350万 | 1 | 2.63 |
1991 | 451 | 5 | 1 | 0 | 1 | 3 | 20.0% | 20.0% | 40.0% | 714万 | 1 | 0.82 |
1990 | 478 | 4 | 0 | 1 | 1 | 2 | 0.0% | 25.0% | 50.0% | 369万 | 1 | 0.45 |
年度 | 順位 | 出走回数 | 1着 | 2着 | 3着 | 着外 | 勝率 | 連対率 | 複勝率 | 総賞金 | 出走頭数 | EI |
当サイトではJRA(日本中央競馬)のみを対象として算出しています。EI:アーニングインデックス(Average Earning Index)とは、競馬においては、種牡馬の成績を表す1つの指標で、種牡馬別の産駒収得賞金に関する指標で 全競走における競走馬1頭あたりの収得賞金に対する、ある種牡馬の産駒1頭あたりの収得賞金の比率をあらわしたものです。
計算式は (産駒の総収得賞金÷産駒の出走頭数)÷(全出走馬収得賞金÷総出走頭数) です。
Star de Naskraは1975に生まれたNaskra産駒の種牡馬。
リーディングサイアーの最高は2000年度の第227位となっている。
リーディングサイアー(Leading Sire)とは、産駒の獲得賞金の合計額による種牡馬の順位のこと。年度別実績一覧では「順位」として表記しています。
系統はナスルーラで「第2次世界大戦後、サラブレッドの血統に一大革命をもたらしたネアルコは、数多くの優秀な後継種牡馬を残したが、そのなかで最も成功したのが1940年にアイルランドで生まれたナスルーラだった。抜群の仕上がりで2歳6月にデビュー。続くイギリス伝統の2歳重賞コヴェントリーSを大楽勝で初勝利を飾り、素質の高さを強烈に印象づけた。しかし、気性難で成績が安定せず、本命に推された英2000ギニーは着外。英ダービーは3着とまずまずだったが、英セントレジャーではまたも気の悪さをさらけ出して着外に沈み、クラシックは無冠に終わった。1944年に種牡馬入りすると、気の悪さはさらにひどくなって凶暴な馬と化し、世話する人間を次々と襲った。だが、この激しい気性が子孫には優れた闘争心に転じ、抜群のスピード、瞬発力、勝負根性、仕上がりを誇るサイヤーラインとして繁栄していった。イギリス伝統の長距離競馬から脱却し、2歳戦と短距離戦に力を入れようとするアメリカにとって、ナスルーラほどおあつらえ向きの血統はなかったし、ナスルーラにとってもこれほど成功へのお膳立てはなかったといえる。ナスルーラは米リーディングサイヤーに5回輝いたが、後継種牡馬のボールドルーラーはそれ以上の8回も輝く素晴らしさで、1960~70年代のアメリカにおいては他を圧倒していた。またナスルーラは英リーディングサイヤーにも輝き、単にアメリカだけの血統ではないことを示した。さらに後継種牡馬もグレイソヴリン、レッドゴッド、プリンスリーギフト、ネヴァーセイダイらが相次いで成功。これにアメリカのボールドルーラー、ネヴァーベンドを加えた6系統を軸に世界的に繁栄していった。初期におけるナスルーラ系はスピード血脈でスタミナが課題だったが、配合牝馬からスタミナが注入されて、徐々に適距離を延ばしていった。その過程からミルリーフ系、ブラッシンググルーム系、ゼダーン系のようなステイヤー血脈が誕生している。長距離競馬に「スピードがスタミナを制する」逆転現象を引き起こしたのも、これら3系統を中心としたナスルーラの血を引く子孫たちである。日本もナスルーラ系の影響を強く受け、テスコボーイに代表されるプリンスリーギフト系が、1970~80年代において全盛を誇った。テスコボーイの血はトウショウボーイ、次いでサクラユタカオー、サクラバクシンオーの父子が引き継ぎ、貴重な内国産父系を築き上げている。」が特徴とされている。