年度 | 順位 | 出走回数 | 1着 | 2着 | 3着 | 着外 | 勝率 | 連対率 | 複勝率 | 総賞金 | 出走頭数 | EI |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1991 | 691 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0.0% | 0.0% | 0.0% | 0 | 1 | 0.00 |
1990 | 566 | 12 | 0 | 0 | 0 | 12 | 0.0% | 0.0% | 0.0% | 29万 | 2 | 0.02 |
1989 | 301 | 23 | 0 | 1 | 3 | 19 | 0.0% | 4.3% | 17.4% | 1765万 | 6 | 0.37 |
1988 | 94 | 64 | 7 | 8 | 8 | 41 | 10.9% | 23.4% | 35.9% | 1億5490万 | 9 | 2.24 |
1987 | 106 | 80 | 7 | 8 | 11 | 54 | 8.8% | 18.8% | 32.5% | 1億2586万 | 16 | 1.06 |
1986 | 62 | 149 | 14 | 15 | 22 | 98 | 9.4% | 19.5% | 34.2% | 2億187万 | 16 | 1.83 |
当サイトではJRA(日本中央競馬)のみを対象として算出しています。EI:アーニングインデックス(Average Earning Index)とは、競馬においては、種牡馬の成績を表す1つの指標で、種牡馬別の産駒収得賞金に関する指標で 全競走における競走馬1頭あたりの収得賞金に対する、ある種牡馬の産駒1頭あたりの収得賞金の比率をあらわしたものです。
計算式は (産駒の総収得賞金÷産駒の出走頭数)÷(全出走馬収得賞金÷総出走頭数) です。
キタノダイオーは1965に生まれたダイハード産駒の種牡馬。
リーディングサイアーの最高は1986年度の第62位となっている。
リーディングサイアー(Leading Sire)とは、産駒の獲得賞金の合計額による種牡馬の順位のこと。年度別実績一覧では「順位」として表記しています。
系統はナスルーラで「第2次世界大戦後、サラブレッドの血統に一大革命をもたらしたネアルコは、数多くの優秀な後継種牡馬を残したが、そのなかで最も成功したのが1940年にアイルランドで生まれたナスルーラだった。抜群の仕上がりで2歳6月にデビュー。続くイギリス伝統の2歳重賞コヴェントリーSを大楽勝で初勝利を飾り、素質の高さを強烈に印象づけた。しかし、気性難で成績が安定せず、本命に推された英2000ギニーは着外。英ダービーは3着とまずまずだったが、英セントレジャーではまたも気の悪さをさらけ出して着外に沈み、クラシックは無冠に終わった。1944年に種牡馬入りすると、気の悪さはさらにひどくなって凶暴な馬と化し、世話する人間を次々と襲った。だが、この激しい気性が子孫には優れた闘争心に転じ、抜群のスピード、瞬発力、勝負根性、仕上がりを誇るサイヤーラインとして繁栄していった。イギリス伝統の長距離競馬から脱却し、2歳戦と短距離戦に力を入れようとするアメリカにとって、ナスルーラほどおあつらえ向きの血統はなかったし、ナスルーラにとってもこれほど成功へのお膳立てはなかったといえる。ナスルーラは米リーディングサイヤーに5回輝いたが、後継種牡馬のボールドルーラーはそれ以上の8回も輝く素晴らしさで、1960~70年代のアメリカにおいては他を圧倒していた。またナスルーラは英リーディングサイヤーにも輝き、単にアメリカだけの血統ではないことを示した。さらに後継種牡馬もグレイソヴリン、レッドゴッド、プリンスリーギフト、ネヴァーセイダイらが相次いで成功。これにアメリカのボールドルーラー、ネヴァーベンドを加えた6系統を軸に世界的に繁栄していった。初期におけるナスルーラ系はスピード血脈でスタミナが課題だったが、配合牝馬からスタミナが注入されて、徐々に適距離を延ばしていった。その過程からミルリーフ系、ブラッシンググルーム系、ゼダーン系のようなステイヤー血脈が誕生している。長距離競馬に「スピードがスタミナを制する」逆転現象を引き起こしたのも、これら3系統を中心としたナスルーラの血を引く子孫たちである。日本もナスルーラ系の影響を強く受け、テスコボーイに代表されるプリンスリーギフト系が、1970~80年代において全盛を誇った。テスコボーイの血はトウショウボーイ、次いでサクラユタカオー、サクラバクシンオーの父子が引き継ぎ、貴重な内国産父系を築き上げている。」が特徴とされている。