カステイラツクの産駒成績

カステイラツク(牡)

生年 1970年


年度別実績一覧
年度 順位 出走回数 1着 2着 3着 着外 勝率 連対率 複勝率 総賞金 出走頭数 EI
1994 762 2 0 0 0 2 0.0% 0.0% 0.0% 0 1 0.00
1993 578 6 1 0 1 4 16.7% 16.7% 33.3% 388万 1 0.44
1992 616 3 0 0 1 2 0.0% 0.0% 33.3% 78万 1 0.09
1991 463 12 0 4 1 7 0.0% 33.3% 41.7% 645万 1 0.74
1990 456 10 0 3 2 5 0.0% 30.0% 50.0% 550万 1 0.67
1989 0 0 0 0 0 - - - 0 0 0
1988 0 0 0 0 0 - - - 0 0 0
1987 407 9 1 1 2 5 11.1% 22.2% 44.4% 501万 2 0.34
1986 478 6 0 0 0 6 0.0% 0.0% 0.0% 35万 1 0.05


EI:アーニングインデックス(Average Earning Index)とは、競馬においては、種牡馬の成績を表す1つの指標で、種牡馬別の産駒収得賞金に関する指標で 全競走における競走馬1頭あたりの収得賞金に対する、ある種牡馬の産駒1頭あたりの収得賞金の比率をあらわしたものです。
計算式は (産駒の総収得賞金÷産駒の出走頭数)÷(全出走馬収得賞金÷総出走頭数) です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/アーニングインデックス
  当サイトではJRA(日本中央競馬)のみを対象として算出しています。




カステイラツクは1970に生まれたDunamis産駒の種牡馬。
リーディングサイアーの最高は1987年度の第407位となっている。
リーディングサイアー(Leading Sire)とは、産駒の獲得賞金の合計額による種牡馬の順位のこと。年度別実績一覧では「順位」として表記しています。
系統はセントサイモンで「エクリプスの誕生からおよそ1世紀後、19世紀のおわりごろになると全盛を誇ってきた主流父系が次々と勢力を失い、イギリス生産界に深刻な影を落としていた。そんなとき、末端の傍流父系から彗星のごとく登場し、血統革命の嵐を巻き起こしたのがセントサイモンだった。デビューするや圧勝に次ぐ圧勝で、10戦不敗のまま引退。「エクリプスの再来」と騒がれたが、確かにエクリプスと同じく猛獣のように荒々しかった。気性を少しでもやわらげようと馬房に猫を放したところ、口にくわえて天井にたたきつけ、死なせてしまったエピソードが残っている。セントサイモンは初年度産駒が3歳になった1890年、英リーディングサイヤーに輝くと以後計9回もその座に君臨し、従来の主流父系をことごとく駆逐していった。「サラブレッドの能力を一挙に高めた名種牡馬」とも、「100年に1頭の名種牡馬」ともいわれたが、たしかにセントサイモンの仔と他の種牡馬の仔では、その能力がまるで違っていた。毎年のクラシックもほぼ独占状態だったが、後継種牡馬も相次いで成功。1910年代になるとイギリスの種牡馬ランキングは、セントサイモンとその後継種牡馬が上位のほとんどを占めるまでになった。しかし、セントサイモン系の繁栄は永続きせず、あっけなく崩壊していく。セントサイモン系に群がりすぎて血の飽和を招いたこともあるが、母の父として強い影響を及ぼしたことが大きかった。母系に入ったセントサイモンの血が、他父系の種牡馬に“蘇生の息”を次々と吹き込んでいったのである。それがセントサイモン系の種牡馬たちを窮地に追いやることとなった。」が特徴とされている。