年度 | 順位 | 出走回数 | 1着 | 2着 | 3着 | 着外 | 勝率 | 連対率 | 複勝率 | 総賞金 | 出走頭数 | EI |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2001 | 542 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0.0% | 0.0% | 0.0% | 0 | 1 | 0.00 |
2000 | 557 | 7 | 0 | 0 | 0 | 7 | 0.0% | 0.0% | 0.0% | 0 | 2 | 0.00 |
1999 | 486 | 7 | 1 | 0 | 0 | 6 | 14.3% | 14.3% | 14.3% | 600万 | 3 | 0.24 |
1998 | 607 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0.0% | 0.0% | 0.0% | 0 | 3 | 0.00 |
1997 | 434 | 33 | 0 | 0 | 1 | 32 | 0.0% | 0.0% | 3.0% | 1066万 | 7 | 0.17 |
1996 | 280 | 35 | 1 | 1 | 2 | 31 | 2.9% | 5.7% | 11.4% | 4043.2万 | 6 | 0.76 |
1995 | 283 | 49 | 1 | 3 | 1 | 44 | 2.0% | 8.2% | 10.2% | 3835万 | 7 | 0.63 |
1994 | 183 | 53 | 5 | 8 | 9 | 31 | 9.4% | 24.5% | 41.5% | 7504万 | 10 | 0.87 |
1993 | 206 | 62 | 4 | 10 | 12 | 36 | 6.5% | 22.6% | 41.9% | 6181万 | 9 | 0.78 |
1992 | 321 | 33 | 1 | 3 | 2 | 27 | 3.0% | 12.1% | 18.2% | 2543万 | 7 | 0.41 |
1991 | 243 | 33 | 2 | 3 | 3 | 25 | 6.1% | 15.2% | 24.2% | 3943万 | 8 | 0.57 |
1990 | 253 | 20 | 4 | 3 | 0 | 13 | 20.0% | 35.0% | 35.0% | 2986万 | 6 | 0.61 |
1989 | 516 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0.0% | 0.0% | 0.0% | 0 | 1 | 0.00 |
年度 | 順位 | 出走回数 | 1着 | 2着 | 3着 | 着外 | 勝率 | 連対率 | 複勝率 | 総賞金 | 出走頭数 | EI |
当サイトではJRA(日本中央競馬)のみを対象として算出しています。EI:アーニングインデックス(Average Earning Index)とは、競馬においては、種牡馬の成績を表す1つの指標で、種牡馬別の産駒収得賞金に関する指標で 全競走における競走馬1頭あたりの収得賞金に対する、ある種牡馬の産駒1頭あたりの収得賞金の比率をあらわしたものです。
計算式は (産駒の総収得賞金÷産駒の出走頭数)÷(全出走馬収得賞金÷総出走頭数) です。
サクライットーは1982に生まれたサンシー産駒の種牡馬。
リーディングサイアーの最高は1994年度の第183位となっている。
リーディングサイアー(Leading Sire)とは、産駒の獲得賞金の合計額による種牡馬の順位のこと。年度別実績一覧では「順位」として表記しています。
系統はゲインズボローで「第1次世界大戦のさなか、ゲインズボローはイギリスで13頭目の三冠馬に輝いた。戦局の悪化で能力検定レースとして行われたため、戦後、三冠馬として認めるべきかどうかの論争が起こった。だが、歴史的名馬にして名種牡馬のハイペリオンを出したことで、その論争にも終止符が打たれた。ハイペリオンは種牡馬となっても大成功し、1940年~54年にかけて英リーディングサイヤーに6回輝いた。その血は世界にも伝播してそれぞれの国で独自のサイヤーラインを築き、父をはるかにしのぐ繁栄ぶりを見せた。しかし、ゲインズボローが単にハイペリオンの父だけでなかったことは、支流のサンクタス系を見ても明らかである。この系統は近年、日本でもサッカーボーイ(マイルCS)、ナリタトップロード(菊花賞)、ヒシミラクル(菊花賞)を出す活躍を見せている。ゲインズボロー系の本質はステイヤー血脈で、競走時代はマイラーでも、種牡馬としては父系のスタミナを伝えることが多い。サッカーボーイから菊花賞馬が2頭出たのも納得のいく話である。戦前のゲインズボロー系としては、1926年に下総御料牧場が輸入したトウルヌソルが有名だ。シアンモアとともに戦前の2大種牡馬として君臨し、日本ダービー馬だけでもクモハタ、クリフジなど6頭出した。クリフジは牝馬ながら11戦不敗、日本ダービーだけでなく菊花賞も勝った女傑だった。またクモハタは後継種牡馬となって成功し、1951~57年まで6年連続でリーディングサイヤーに輝いている。」が特徴とされている。